バングラデシュの旅 | driveroneのブログ

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1月の最終週に、今年度の長期休暇を利用してバングラデシュへ。

 

バングラデシュは、東はミャンマー、西はインドに接し、独立する1971年までは東パキスタンとしてパキスタンの一部を構成していた国で、かつてはアジア最貧国と呼ばれサイクロンや大雨による洪水が頻発していた。また日本の約4割の国土面積に、日本より多い15000万人の人口を擁する人口密度の高い国。

更にイスラム教徒が90%を占める国と言いながら、時々テレビに映る様子は中東の国々とは違い柄の服を着る人が多かったり、女性もあまり頭を隠していなかったりなど、どうも一般的なイスラム教国とは違うように感じていた。

現在自分がサポートしている認定NPO法人e-Educationの事業開始の国ということも重なり、今回はこの国を選んでみた訳である。

 

旅の行程は、首都ダッカに始まり、国内線の飛行機で南東のチッタゴン。そして外国人は事前許可が無ければ入れない少数民族地域のバンドルボン。更に国内最大の観光地で世界最長の砂浜を誇るコックスバザールを行き、最後にまたダッカに戻ってくるというもの。

 

 

真冬のバングラデシュは日本でいうと45月頃の気温と湿度。Tシャツ+薄い長袖1枚が丁度良い。日差しが強いかと思いきや首都ダッカで迎えた朝日はもやの中だった。

後でわかるが、これはダッカの空気が悪かったのではなく、この国ではほぼどこの地域でもこんな朝日になる気候らしい。

 

首都ダッカは人口過密地域で、歩道は立ち止まるスペースはない。

バイクだらけの東南アジア諸国とは違い、自動車とリキシャで埋め尽くされていた。

リキシャとは自転車で引く人力車のようなもので、市民の足となっている。またバスも多く、殆どのバスは車掌が半身を外に乗り出したまま走行し、客らしき人を見つけたらバス停など関係なく呼び込む。渋滞でゆっくり走ったまま、バスの客は乗降する。

 

町の南には港。3つの大きな河口にあるバングラデシュは舟文化。大小様々な船が交通・観光・漁業のために行き交っている。町は人で溢れかえっていたが、海は舟で溢れかえっていた。しかしこれだけ過密で、やはりゴミが多く道端に捨てられている開発途上国の顔がありつつ、スラム街らしいものは無いそうで、この10年ほどでかなり豊かになったそうだ。

 

チッタゴンは商業港湾都市。大型船舶が荷物を下ろすのがここだという。また世界の大型船舶の半分を解体しているという「船の墓場」と呼ばれる場所へ。霞んで見えなくなる先の方まで、解体中の大型船舶が並ぶ。解体した鋼材や内装品は近くのマーケットで売られ、新たな船舶の材料になったり等するらしい。何に使えるのか全く分からない謎の部品まで売っていたが、なんだかんだ買い手がつくそうだ。

 

バンドルボンは丘の上。ダッカにいるベンガル人とは明らかに違う顔。ミャンマーや中国にいる人と人種的には近いのがよくわかる。ここは国内では観光地として有名だそうで、この村々の中でも発展度合いは違い、中心部に近いマルマ族は皆学校に通い大学生もいたが、奥のムロン族は竹で編んだ小屋に住み、かまどで沸かした湯でティーを入れてくれた。

 

コックスバザールは観光地。干潟ばかりの海岸線が続くバングラデシュにおいて、砂浜を楽しめるのは贅沢らしく、1月でもみんな大はしゃぎで海水浴。ただ宗教上の理由もあってか水着の人はおらず、皆服を着たまま海に入る(今思えばあれはあれで水着だったのか・・・)

少し入ったところには町の名の由来にもなったバザール。様々な生活用品や食料品が売られていた。ダッカでも見たが衛生面は厳しく、周辺全体がきつい匂いに包まれていた。更に特に肉・魚の売り場は息をするのもはばかられ、大量のハエがたかる。肉も魚も冷凍という概念がなくそのまま吊るされており、牛肉の下には切り落とした牛の頭が、血が滴ったまま看板代わりに置かれていた。(写真は撮ったが掲載自粛)

またミャンマーに程近いこの町にはロヒンギャの方々が多く住んでいる。12年前にミャンマーで迫害されていると騒動になる前から住み着いている人々は、魚を干物にすることで生計を立てていたりするらしい。尚、騒動後に国境を越えてきている人は難民キャンプにいるそうな。

 

ダッカに戻った最終日、石炭を船から運び出す人々を見学。この国では自動車はCNG(圧縮天然ガス)で走らせるが、建材である煉瓦を作るのにはインドから輸入する石炭を使用するらしい。1かご2.5kgある石炭を頭に乗せて運ぶと、毎回チップを1枚貰え、その日の終わりに1チップ3.5タカ(約45円)と交換できる。1200300回運び、ほぼ毎日やれば月4万円程度の収入にはなるということだそうだ。かつては学校不足等で字の読み書きができない人でもここには仕事がある訳である。

 

バングラデシュ。自分の目で見てきた印象では「単一民族国家に近い多民族国家」だ。ベンガル人がベンガル文字を使いベンガル語を話す。文化的にもベンガル文化がまずあり、後から仏教・ヒンズー教が通り過ぎつつイスラム教がやってきて、今はこれらが混在している。宗教衣装を着る人が多いが、隣人が何の宗教かなどは全く気にしていない風なのは日本とも重なる。一方で一部地域には独自の言語・文字・文化を持つ少数民族が生活しており、彼らは運命的にベンガル人程の公共的な恩恵を受けにくい立場にある。

牛、山羊、野犬、鶏が大都市でもうろついていたり、衛生面やもしもの際の保証がないという開発途上国なりの課題はありながら、想像もつかないスピードで発展を続ける国。10年後にはまた全く違う姿に映る場所になっている気がしてならない。