音楽について | 排出ポンプが作動しません

排出ポンプが作動しません

部屋の隅で固まったホコリと無駄毛の集合体は、掃除されるときを待っている。
僕の頭の中にそのようなものが溜まったならば、ホウキでまとめてゴミに出さなければ。

アメブロは、燃えるゴミですか、それとも燃えないゴミですか。

仕事をするようになって、音楽を聴く機会が減った。

車で英会話のポッドキャストを聞くようになってからは、
さらに音楽を聴かなくなってしまった。

やらねばならないことが増えると、その分、犠牲として何かが減っていく。
寂しいものだが、音楽はその「何か」の筆頭にあたる。

先日、30を過ぎた僕が、同じく30を過ぎた職場の同僚と飲みに行った。
彼は自分にこれといった特技や趣味がないことを気にかけていて、
僕にアドバイスを求めていた。

two men at the bar


「趣味がないと、仕事以外にやることがないんですよ」

「休みの日は何をしてるの?」

「特に何もしてません」

「・・・音楽は聴かないの?」

「全然聴かないですね、興味がないです」


「音楽は聴いたほうがいい」

「何のために?」


「生きるために」


cat


ただの厨二病じゃないか!


とはいえ、音楽は自分の中でとても大事なので、
酔っ払ったこの会話も、あながちただの格好つけだとは言えない。

最近読んだ小説の中に、
生きる理由は人生において必要条件じゃなくて十分条件なのだと
書かれていたが、音楽もそうだ。

無茶な三段論法を用いるなら、
音楽のない人生は、生きる理由のない人生とあまり変わらない。

最近、嫁が「うちには音楽が欠けている」と言った。
僕は、伊坂幸太郎のオーデュボンの祈りを思い出しながら、
「そうかも」と答えた。

かかし

医者も専業主婦も人気作家も、きっとあるときに気がつく。
最近何か欠けているものは、音楽だったんだと。