ふと気づけば、目の細い息子も今月半ばで3歳を迎える。

 

彼が生まれた時からまったく保活をする気にならず、保育園に入れないままのらりくらりと今日に至っていたんだが、いよいよ差し迫って来年4月からの幼稚園を真剣に考えねばならない時が来たようだ。

 

 

 

 

ああ、めんどくさい。ゲローゲローゲロー

 

 

 

 

わたしも夫も保育園ではなく幼稚園に通っていたため、なんとなく、特に深い意味もないんだけどほんとになんとなく、「うちの子は幼稚園」というイメージしか抱けなくて、一応チラッと今更保育園も調べてはみたけれど、やっぱりどうにも保活が大変そうだから、このままいけば幼稚園に入れる流れになりそうだ。(とにかく全力で面倒を避けたい真顔

 

で、どこに入れるのか? という、一見子どもの将来や潜在能力開花のことを考えて万全の考えで持って選択すべきであるように思われるこの園活(?)について、

 

 

英語力上達に力を入れている園が良いか?

シュタイナー教育もしくはモンテッソーリか?

有名大学付属の幼稚園をお受験するのか?

大自然の中で自由にのびのびと遊ばせてくれるところか?

 

 

などなど一応一通り考え、わたしたち夫婦が出した結論は、

 

 

チャリで通える地元の園の中で、

フィーリングが合いそうなところ

 

 

という感じに落ち着きそうだ。(まだ本決定ではないが)

 






 

あくまで個人の感想なんだけど、こういうのもぬかるみにハマるとね、

 

 

自分たちのこの選択が子どもの将来を大きく変えてしまうんじゃないか?

この子の才能を潰してしまうんじゃないか?

本来持っている潜在能力を開花させてあげられないんじゃないか?

 

 

みたいに、重く大きくのしかかってくるわけですよ。(実際わたしはのしかかられてた)

 



でもね、やっぱり親である我々のタイミングだとか送り迎え事情もあるわけで、そう何もかも、子ども中心・優先で動くのは難しい面もある。

 

 

子どもの成長に際し望むことは、基本的な優しさと思いやり、そして自分で考える力のある自己肯定感の高い人。シンプルにしていくと、ほんとそれくらいしかない。

 

 

 

グローバルに活躍する人材になって欲しいとか、

英会話くらいできるようになって欲しいとか、

お金に苦労しないで生きて欲しいとか、

もちろん細かい願望は色々あるものの、ぶっちゃけそういうのって、後天的な自分の努力でまかなえる部分が大きくて、

 

 

どんな幼稚園に通おうが、この先自分で考える力を持った強く優しい人間になることは出来る

 

 

という結論に至った。

 

 

世の動向が全く見えない、一年先の情勢すらもわからないカオスな世の中で、過度に期待を賭けて早期教育機関に将来を委ねるよりも、自分たちの大切にする価値観は家庭の中で伝えながら、まずは一旦ふつうに幼稚園という子ども社会を体験させてみようかな、くらいのノリで。

 

 

良い大学を出て大きな会社に就職することが安泰・幸せに直結する時代はとうに終わった。

 

これからは益々、時代の先を読み、自分自身の特性を生かした「楽しさ」の中に他者貢献を見出せる人間の「個の力」が物を言う時代になっていく。

 

人を愛し人に愛され、損得なしに他者と繋がって豊かさをまわしてゆく感覚に長けている、愛に太っ腹な「人間力」が。

 

 

盤石のバックアップ体制で環境を整えることももちろん愛だが、この子はどこに入っても大丈夫、という信頼を持って、家族というチームでの組織行動に合わせてもらうこともまた、信頼という名の愛情かな、と思っている。

 

 

というそれらしい理由のもう片方で、

 

 

わたし自身が1ミリたりとも面倒くさいことをしたくない

 

 

というのも大きな理由の一つね。



 

あれこれ合うところを探すとか、プレに通わせるとか、そういうのもうなんかほんと吐き気がするくらい嫌で苦手で興味もないから、すまん息子よと心の中で謝罪しながら、最も楽に通えて諸々緩めなところを母ちゃんなりにがんばって探すわな。笑い泣き笑い泣き

 

 

 

当たり前だけど、夫もわたしも自分自身を完璧だなんて微塵も思ってないし、わたしに至っては自分を「たぶん人間一回目の半妖怪」くらい歪な個体として認識してるけど、それでもね、人間としていちばん大事なものだけは、この先も絶対的に持ち続けられるという自負がある。

 

クサイ言い方になっちゃうけど、言葉にするならやっぱり「愛」みたいなやつね。

 

それはわたしとメガネ氏が、両親や家族、今まで関わってくれた人たちからもらったもので、そのね、いちばん大切なものが何かをちゃんと知ってるわたしたちの間に生まれた息子はもう、どう転んでも、どこでどんな風に過ごそうとも、何の心配もないくらいそこを頑なに継承するだろうなっていう確信があるわけです。

 

そうなると、数年間通う幼稚園なんか、どこだってええやんけと思っちゃったりするよね。滝汗

 

 

 

たぶん少数派の考え方なんだろうけど。

 

 

わたしは、幼稚園にしては割と教育が厳しめな、お寺が経営する幼稚園に通ってたんだけど、ハッキリと記憶が残ってて、子ども心に「たかだか幼稚園生にこんな厳しい躾必要なくね?」とか、「いや、そういうのは小学校上がってからでいいだろうよ」という、子どもらしからぬ生意気で冷静な目線を先生たちに向けていたことを覚えてる。

 

だからきっと、どういう環境に身を置いたとしても、最終的にはその人が最高の形で自分らしさを発揮できる道には辿り着くようになってるんだと思う。

 

そのことへの信頼を、もっとちゃんと持とうと思った。

 

 

ただね、超面倒くさがりで幼稚園選びとか一切興味が持てないわたしですが、心身ともに子どもの成長に大きく影響するマスク問題その他については、どんなに「こいつ面倒くさい!」と思われても、全力で我が子を守るポテンシャルはあります。

 

 

人が面倒だと感じるところと、わたしが面倒だと感じるところがズレてるんだろうね。

 

 

 マスク問題があるからどうなるかわからないけど、とりあえず入れて登園経験させてみて、例えば息子が行きたくないとかわたしたちが行く価値ないぜと感じたら、本人との話し合いの後、もれなくドロップアウトしちゃうと思いますーん。



まぁもう、それくらいのノリで。



サバイバル能力さえあれば、生きていくのに問題ないしね。



一応がんばって園活してみまーす。