今夜は夫婦で、リスペクトしてる方と食事をご一緒する機会を頂いた。

ランチではなくディナーの時間帯に子どもを預けて外食するのは、たぶん息子が生まれてから3回目くらい。滝汗滝汗滝汗


母と叔母が見ててくれることになっていて、昼過ぎに自宅まで迎えに来てもらい、息子は早々に叔母宅へと引き取られていった。



不意に、天からのギフトのようにわたしに降って湧いた至福のひとり時間…



平日昼間、綺麗に掃除された部屋の中で数時間、息子のいない完全フリータァァイム!!!


これを最高と言わずして何と言おう!!
至福の極みとは平日昼間の爽やかな時間帯にべろべろにリラックスできる自宅で息子と離れひとりになれることじゃない? そうじゃない?


目がキラキラしてる。


もうね、もうさ、


ひとりって最高ってゆーかウェルカム孤独ってゆーか、ひとりでいたら余裕で精神状態整うし即座に真ん中に戻れるし、メンタルを穏やかに保つことが楽勝じゃねぇかよ!!!


ってことに気付いたわけ。


子どもがいなければよかった、とは思ったことないけど、いなくてもよかった、とは思う。誤解を恐れずに言えば。


子どもがいる豊かさ、というのは勿論あるんだけど、子どもがいない豊かさ、というのも絶対にある。


心を穏やかに保つことの容易さという意味では、子どもがいない方が圧倒的に有利で、自分に集中しやすいから、ご機嫌を保ったり心地良さを探すこともそう難しくはない。


わたしは息子と離れている間、それはそれは見事なほどに息子のことをど忘れしており、下手をすればわたしの世界に息子は存在してないくらいのレベルで自分だけに向き合えて、半端ねぇ至福を感じる。


良いか悪いかは知らないけど、わたしという人間はそうできているから仕方ない。


久しぶりに痛感したのは、例えば妊活をしていてなかなか子どもができないという方も、


子どもがいる→ある
子どもがいない→ない


ではなくて、


子どもがいる→「いる」という豊かさがある
子どもがいない→「いない」という豊かさがある


みたいに捉えられたら良くないだろうか。

という事。つまりはどっちも「ある」。
いる現実が「ある」のと、いない現実が「ある」。

そして当たり前に、それぞれに付随する豊かさや幸せがどちらも「ある」。


これって単なる観念の話ではなくて、真理なんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?


わたしたぶん、息子に会うの週3くらいがベストだわ。笑

そのペースだと、一緒の時間、全力で可愛がれる自信ある。イライラをぶつけることもぐんと減るはず。


早く整えよう、そういう環境を。