先日プペルを観た帰り、お腹が空いたので何か食べようと思い、映画館の入っているショッピングモールでお店を探した。

たまたま通過したフードコートをチラ見するも、食べたい物がなく素通りして一階のレストランゾーンへ。

滋賀では、都心と違い街のそこかしこに飲食店が立ち並んでいるわけではないため、移動手段が徒歩のわたしは間違いなく、ここを逃せば帰宅まで何も食べられない。

朝食を摂っていなかったこともありとにかく何か食べたいと思い、あれこれ迷って選んだのは、いかにもヘルシーそうな定食屋さん。白米は普段から殆ど摂らないけど、雑穀米と鯖の塩焼きに惹かれ、久々にご飯を中心に据えた和食メニューを食べてみるかと思い、ナントカ定食というやつを注文した。(相変わらず記憶のディテールが雑でごめん)


お釜で炊いた雑穀米、鯖の塩焼き、野菜の和え物、鶏肉と野菜のあんかけ、お漬物、お味噌汁にデザートのわらび餅、というラインナップ。


久しぶりのザ・和食。自然派を謳い、それなりにこだわっているお店だとは思うのだが、トータル的な感想としては、


『変に甘い』


と感じた。


あんかけも、お味噌汁もお漬物も、どこか不自然な「甘み」が舌に残る。鯖は脂が乗っていて美味しかったけど、結局食べ切れたのは鯖のみで、雑穀米もお腹が膨らんでしまい半分以上残し、根菜類もお味噌汁もお漬物も、わらび餅に至っては一つ目をひと口齧っただけで甘さが気持ち悪く感じられ、ほぼ丸々残してしまった。

図らずもフードロスに加担した挙句、お店の方が作ってくださったご飯を最後まで美味しく食べ切れなかったことに、妙な罪悪感が残った。


これまでも、出てきた料理が口に合わず、不味いとか酷いとか店たたんじまえとか思ったことはあったけど、数種類の品が並んでいるのに感想がのきなみ「甘い」一辺倒で、美味しさを感知出来ずこんなにも残してしまったのは初めてだった。


内容とは無関係のカフェで。


このお店にこれ以上の何かを求めているわけでも、ショッピングモールの飲食店に高クオリティを期待したいわけでもない。


ただ、ここ数ヶ月、食を見直し日々口にするものに気を付けている自分が、これまで気付きもしなかった「甘さ」をこんなにも敏感に拾い、かつそれを一切「美味しさ」として感じられないことに衝撃を受けた。

良い悪いではなく、あくまで一つの事実として。



美味しく食べられるものが減っていくのは、ある一面では悲しいが、別の見方をすれば、身体にとって必要なものを味覚でも識別出来るようになった、とも言える。


何でも美味しいと感じられる方が幸せだ、という考え方も当然あるだろうし、それを否定する気も毛頭ないけれど、やはり直接口に入り、自分の命を作ってくれる食事に気を配ることで、身体にとって不要な物を排除する感覚も育つのではないかと思った。


40年以上そこに無頓着に生きてきたわたしですら、たった数ヶ月でこんなにも変化があるのだから、小さいうちから食に気を付けられたら、不要なものを美味しいと感じない、病気知らずの人生を歩めるんじゃないだろうか。


コンビニ食などの安価で手軽な物に飛び付いたり、反対に高級食材や高いお店のフルコースなんかを日常的に食べていると、センサーが働かなくなり命を縮めてしまいかねない。


自分にとって必要なもの不要なものは、値段ではなく正しい知識と「体内センサーで」決めること。


敏感で正確なセンサーを作るためにも、日頃から不要な物を摂らない重要性を改めて痛感した。