世界も自分も常識も、ゴロリと変わらざるを得ないという局面に立たされて、いくつか見直した事がある。
ひとつ前の記事に書いた備蓄の話と通じる部分もあるのだが、
口にするもの
備蓄しておくもの
手元に残すもの
などが、
本当に必要なものかどうか? を超絶真剣に見極める
という事。
まぁ物理的に、本当に必要なものだけを徹底して選び取ることを強いられる状況に追い込まれたからなのだけども。





詳しいことはまた別の機会に書くが、今月我が家に、コロナショック以上の経済ショックが訪れた。
ショックの程がよくわからなかったリーマンショックどころじゃなく、
マジで、ガチで、リアルに、
今月末までどうやって生きてく?
みたいなことになりまして。





叔母の家や実家からの救援物資(米と食料)と盤石な協力体制による前向きな節約により、なんとか命を繋げる目処が立ったのでこうしてブログにも書けるわけだが、いやもうホント、ショックが起きた日は
なんでこんな世界で生きてなきゃいけないんだろ





って、生きてること自体心底嫌になったし、どでかい鉛を飲んだみたいに胸の辺りがでーんと重たくてそりゃもう絶望した。
コロナ云々以前に、
1円たりとも無駄金使えない
というギリギリの崖っぷちに立たされた我々は、それこそ血眼で見直さざるを得なくなったわけ。
あらゆる物が、
本当に必要なものかどうか?
を。
そしたら、
これまで当たり前に食べていた朝食のパン、
何気なく買っていたおやつ、
使っていたトイレ用洗剤、
飲みきれなくて賞味期限が切れる牛乳、
など、
よくよく考えたらそこまで必要じゃないものが結構あることに気付いた。
ので、真剣に吟味した後、不要だと思ったものは間引いた。
これまでトーストや何やらを食べていたのを、白湯か紅茶を飲むだけで朝食を食べなくなったり(わたしのみ。メガネ氏と殿下は食べてる)、
夕飯のメインは肉か魚!と思い込んでいたのを「野菜中心」にしたり、
トイレ掃除を洗剤をやめて重曹とクエン酸のナチュラルクリーニングにしたり。
とりわけ、「食」に関しての見直しは大きくて、朝食を抜くことでお昼ごはんが何倍も美味しく感じられるようになったうえ身体も軽くなり、
夜も、ごはん、具沢山味噌汁、自家製ぬか漬け、野菜のメインディッシュで十分満足出来るし味覚も研ぎ澄まされて、素材の美味しさを敏感に感じられるようになった。
更には不思議なことに、あれほど好きで毎日飲んでいた珈琲を全く欲さなくなり、食事の味付けも薄めを好むように変化した。
これから、
これまで当たり前にあったものが当たり前ではなくなるかもしれない
時代に突入するにあたり、我が家の場合は突然の(つっても自分たちの甘さが招いた結果。自業自得
)経済ショックで、半ば強制的に必要なものの見極め・見直しと、不要なものの手放しをさせられたのだと思う。

実のところこれがわたしたちには幸いで、一切無駄金を使えないという物理的な制限が入った事で、
もう一度、骨の髄まで生き方を見直す
チャンスを貰えた。
これまでも、家計の立て直しに向けて話し合ってきたつもりではいたけど、全然甘かったし温かったし、まだまだ本音から逃げていた。
でも今回は、今回ばかりは逃げられなかった。逃げ切れなくて捕まって、
オラ、ちゃんと見ろッ!!
これが長らくお前らが目を背けて来たモンだ!!
って、目の前に突きつけられた感じがしてる。
牛歩どころかカタツムリ以下の速度でしか前に進めてないし、我ながらその歩みの遅さにはゲロが出るものの、コロナショック+経済ショックによる
背水の陣で得た、本気のリセット・リスタート月間
を無駄にせず、自分たちの信じる道を地道に進んで行くと決めた。
わたしたちのみならず、この状況下で、
仕事の仕方、
暮らす場所、
食べる物、
など、すべてをリセットし見つめ直す機会を得ている人は多いだろう。
わたしたちもまだ、なんつったって渦中にいるし確実な安心を得られたわけでも何でもないが、ひとつ確信したのは、
追い込まれたら、人間は割と本気出す
ってことね。笑
もちろん大変なこともたくさんあるだろうけど、それでも今のこの時間って、きっとみんながしっかり内面に潜って自分と向き合うために必要なものなのだと思う。
今ここで、逃げることなく自分ととことん対峙できたなら、この先時代がどうなろうとも、恐れではなく愛を手にして進んでいける。
そういう人が多くなれば、社会も世界も素敵な方に転がり始めるだろう。加速的に。
わたしたち個人の変化や成長や目覚めが、連なり重なり大きな波を創れるのが今という時。
いろいろあるけど、それぞれキツいかもだけど、とりあえず笑いながら、目が合ったら微笑み合って、助け合って励まし合って分け合って、みんなで進んで行きましょうや。
面白い時代に生きてるよね、つくづく
