先日、仕事合間に新宿のファッションビルをふらりと覗いた。

イ○ン系ショッピングモールじゃない場所でのウィンドウショッピングとか、久々!

しかもコンセプト的にややアッパーというか、お値段高めの物ばかりが並んだ最先端のデザインビルで、本来であれば、洋服大好きなわたしの心が浮き立つ筈の場所だった。





が。





どういうわけか、ときめきセンサーが一切反応せず。


育児疲れもあり今自分がそこまでファッションに興味ないからかな…とも考えたが、それにしてもあからさまに品質の良い最先端のアイテムの数々を前にして、こうも浮き足立たない意味が我ながら解らずにいた。


愛のお手紙で女優メソッドのコンサルをやっているので、専門知識としても流行を知っておくのはマストかなと思い見て回ったわけだが、




マジで、全く楽しくねぇの!!笑い泣き笑い泣き笑い泣き




で、浮かんできた違和感は、




流行って、追いかけ出したらキリがないやんけ




ということ。


どこぞの誰か(たぶんファッション界の大御所とかデザイナーとか偉い人)が決めたシーズン毎の流行を、何の疑問もなく追いかけて取り入れて「自己表現」と思い込んでる自分の考えの無さ、無節操ぶりに嫌気がさすと同時に、オシャレである為に他人が決めた「イケてるもの」を毎シーズン追いかけ続けるとか、こんなアホなことあるかい!!って、なんか心底馬鹿馬鹿しくなった。


そして、女優メソッドというファッションコンサルツールを通してわたしが伝えたいのは、


流行りのアイテムを取り入れてオシャレに見せる方法でも、
自分らしくトレンドを着こなすスキルでもなく、



あなただけの定番、「永遠のトレンド」を見つけて、誰とも比べる必要のない最高の自分を世界に発信してくださいね



みたいなことなのに、なんかこのままだと真逆にいきかねへんやん、という危うさを感じた。


薄毛を梳かす



何より最近痛切に感じるのが、



悲鳴をあげている地球を無視しての大量生産、大量消費に加担する自己表現はとてつもなくダサい



という事。


例えどんなに高級で高品質で洗練されたデザインの物を身に付けていたとしても、それが数あるうちの一つでしかなく、一過性の消費物として選びとられたものならば、そこには本質的な美だとか、こちらの魂を揺さぶるような感動は宿らない、宿りようがない。


ほんの少し前までわたし自身も、ぼんやりと気に入った服を買い、わずか数年(下手したら一年経たずに)で、気に入って買ったはずの服をゴミとして平気で処分する、ということを繰り返していた。


その服がどこから来たのか、誰が作ってくれたものなのか、どんな想いで作られたものなのか、そうしたことには一切関心がなく、ただ


可愛いから
好みだから
オシャレだから


みたいな理由で、大量に買っては、大量に捨てていた。


女優メソッドについても、あまりこの「大量消費」や「生産者の状況」と絡めて考えたことはなく、漠然と、似合うものが解れば無駄な買い物をしなくて済むから、程度の意味付けで講座やコンサルをやっていた。


甘かったし、温かったし、地球のこととか何一つ考えられてなくてマジでくそダサい。ゲローゲロー


くそダサい。けどかわいい。


もはやエコとか自然志向とかそーゆー話ではなく、産業革命以降、ありとあらゆる分野で限りある資源を消費され続け、あわや瀕死の状態で息も絶え絶えになっている地球の今、そして未来を直視せずして、わたしたち自身の未来はない。当然ながら。



ファッション業界も例に漏れず、やはりもう引き返すべきところへ来ているのだと感じる。

いや、もうそんな臨界点はとっくの昔に超えており、それでもまだ横着で図々しく無知なわたしたちが、母なる地球の悲鳴を無視して暴走しているだけなのだ。


オシャレは楽しいとか、
センスがいいと仕事でも信頼されるとか、
ファッションは人生を彩る大切な一部だとか、


うん、そうだけど、そうなんだけどさ、



でもそれ全部、地球ありきの話やん?



だってもう、臨界点は超えちゃってるんだもん。


これ以上、みんなが単なる「自己表現」で大量消費社会の経済市場で爆買いし続けたら、経済は回るかもしれないけど、その前に地球が終わる。


洋服もオシャレも好きだし、ファッションは自己表現の第一歩としてめっちゃ有効なツールだとも思うけど、それ故に、事実を見ず、自己を表現する為だけに何の疑問も問題意識もなく流行を追いかけて大量消費社会に加担し続ける自分ではいたくない。もう、1秒たりとも。


そこを無視して走るくらいなら、オシャレに無頓着なサエないおばさんでいる方がいい。



なぜ、女優メソッドをやりたいのか。
インスピレーションが降りてきて、あのメソッドをまとめたのか。
誰に何を伝えるためにわたしに降ろされたツールなのか。
魂に沿って本質的に生きるってどういうことなのか。



まるでときめきを感じなかったハイセンスなオシャレビルでの衝撃から、自分の在り方、生き方、サービスの提供の仕方を今一度根本から見直そうと思わされた。



長くてごめん。おやすみ。