昨日は感情解放のワークショップ、別クラスの初日。
みんな前のめりで、もう一つのクラスに勝るとも劣らない、いい感じのエネルギーを出してくれててこちらもやる気にはなった。
が、
感情を出すのが苦手、
演技にブレーキがかかる、
普段から感情が表に出にくい、
と自覚してる子が多数おり、素朴な疑問がわいた。
ナゼ、ヒョウゲンシャヲメザソウトオモッタノ??
まぁ、まだ若いからどうにでもなるものではあるんだが、それにしても単純に、感情を出すのが苦手で演技にもブレーキがかかり普段から感情が表に出ない君がなぜよりにもよって、感情を出すのが仕事でアクセル全開で演技を楽しむべき人種である表現者を目指そうと思ったんだね?
と全力で問いたい。素朴に。
素朴に全力で問いたいわ、切に。
よくわかんないんだよなー。

プレーヤーやりたいのに、恥ずかしいとか感情出せないとか自分を守りたいとか。嫌味じゃなくて、ほんとに素朴に意味不明。
だって、元来恥ずかしいものなんだよ、役者や声優や表現者なんてのは。芝居とか演技なんてものはさ。
それを、一本ネジが外れた感覚で「楽しい」と思えるからこそやりたいんじゃないの? 違うの?
感情出せないとか、ブレーキかかるとかさ、楽しくないじゃんか、そもそも!!





わたしは途中から、「ワシはどう考えてもプレーヤー向きやないけん、創る側に回らにゃならん」と思うて脚本演出に行ったけど、それでもプレーヤーだった頃は、とりあえず役を演じることが楽しくて「感情出せない」なんて思ったことなかったよ。
やりたい表現が思うように出来ない、というのは当然あったけど、それは経験値に伴うスキル不足からくるものである以上仕方ない話だし、一朝一夕に埋まるものでもないから長い目で経験を積んでいくしかない。
それでも、へたくそでも出来なくてもわからなくても迷っても、感情が出せないとかブレーキがかかるとか、そんなの感じたこともなかったなぁ。
普段から感情が出にくく表情も乏しくほぼ無表情であんまり笑わない人間ではあったけど、それでも演じることが楽しかったから、演技の場において「感情が出せない」ってどんな感覚なのか全然解らない。
だってそれを楽しみに来たんじゃないの?
感情出すのが好きなんじゃないの?
感情出せません、
恥ずかしくてブレーキかかります、
ってさ、
刃物握るの恐いです
年中鼻詰まってて味覚が死んでます
って人が料理人目指すのと同じじゃね?
ハンデがハンパねぇ!!
只の苦行やないかい。
みんな可愛いし、授業外にわざわざ来るくらいだからやる気もあるし、勿論全力でこっちもアウトプットしてるしどうにか道を見つける手伝いをしたいとは思うけど、思うんだけど、
根本的に解せんのよね。
わたしは感情出せないとか、
恥ずかしくて演技出来ないとか、
よく思われたくてカッコつけちゃうとか、
嫌われたくなくて縮こまっちゃうとか、
学生時代までそれがあったことは明確に覚えてるんだけど、好きで、自由意志で、自分で選択して芝居をやり始めてからは、一回もそんな風に感じたことがなかった(というか覚えてない)から、みんなの気持ちが全然わからなくて困ってる。
マジで共感できない、1ミリも。
でも、裏を返せば現時点で、ブレーキのかかってる自分、感情を出せてない自分を自覚できてるってことは希望があるなとも思ってる。
その羞恥心、
一般的な感覚、
人として当たり前の防衛本能。
それらを遥かに凌駕するほど演じることが好きで、「表現できる幅を広げたい」という望みが本気でトップに来ているのなら、の話ではあるが。
感情が出せないんです、
ブレーキがかかるんです、
って、もしも現場で役者に言われたら、
回れ右して稽古場出て行け
って思うよね。
恥ずかしいなら、やらなきゃいいじゃん。
演る側じゃなくて見る側として楽しんでればいいじゃん。
って思うんだが。
劇団やってた頃、なかなかここを突破出来ない劇団員にいっつも同じこと思ってたの思い出した。
役者なんか感情を切り売りしてナンボだろ。感情出すのそんなにケチるんなら演る側じゃなくて見る側に回れや!!!
と。
表現者目指しててここでつまずく人のことは根本的に理解できないが、わたしいま演出家じゃなくて先生だから頑張る。
おやすみ。