最近は、殿下を寝かしつけたあと、更には常勤のメガネ氏が寝たあとの一人の時間が自分にとってホッとできるひとときになってる。
メガネ氏とリビングにいても、ベビーモニターが起動してるうちはどこかで殿下のことが気になってるし(殿下が泣いて飛んでいくのはメガネ氏だけど)、メガネ氏が寝室に引っ込んでモニターカメラを消してくれた後にやっと、すべての責任がわたしの手から離れた気がしてようやく心が安らぐ。
どんなに眠くても次の日辛くても、一人でいられることの幸福が圧勝してついつい夜更かししてしまう。
子どもが可愛いとか愛しいってこととはマジで別で、
一人の時間が、ないとしぬ
っていうのがわたしの感覚。
今日はやりたかったこと(仕事、ブログetc)が何ひとつ出来なくて、そーゆー日は決まってイライラが溜まって漏れ出してしまう。
やりたいことができないのに、やらなきゃいけないことばかりが山積しているように感じる日は、家庭も子どもも関係なく自分のしたい事すべてを自由にやれた過去がとてつもなく眩しく思えて、やたらと昔の事が思い出される。
殿下は世界一愛しいけど、わたしにとっては育児ってほんと、いろいろ紙一重っていうか表裏一体。
こないだ、ギャン泣きしてる2、3歳くらいの女の子が、空っぽのベビーカーを押してるお母さんを追いかけてるのに遭遇した。
わたしを含め道行く人たちはあまりの泣きっぷりに振り返ってたが、みんな「うるせぇな」ではなく「あらあら、どうしたのかな?」って感じの微笑ましい顔で見てた。が、お母さんと目が合った次の瞬間、その、あまりの表情のなさと目の奥に潜む凄まじい苛立ちに「うおっ!」ってなった。
我が子への苛立ちと、
怒るに怒れないやるせなさと、
何でこんなに困らせるんだろうっていう解せなさと、
抑えられない衝動的な怒りと、
そんな想いに駆られてしまう自分への罪悪感。
それから、日々の疲れ、
蓄積されたあまたのストレス、
どうやって解いていいかわからない自分の気持ち、
とっくに解らなくなってしまった本音や本心、
そういう本質に向き合うゆとりさえないノンストップの毎日。
わからないけど、たぶん、なんとなく、
そういうものが酷く発酵してないまぜになり、顔自体は美人なお母さんの、まるで体温のないこういう表情を生み出しているんじゃないかと思った。
全然知らない人だったけど、わたしにはそのお母さんの気持ちが手に取るように解ってしまって、泣きながらハグしてお茶に誘いたい衝動に駆られた。
ストレスをさほど溜めることなくうまくやれる人もいるだろうし、自分で上手に時間やペース配分をコントロールできる人もいるんだろうけど、わたしは基本的に回路が単線で不器用でくそまじめで尚且つ地球で生きていくことに適応していない生命体なので、こういう風にこんがらがってしまう人の気持ちがとてもよく解る。
解ったからって特に何も出来ないんだけど、せめて、せめてあのお母さんがニコニコ笑ってホッコリ好きなお茶でも飲める時間を持てますように、本来の優しさを取り戻して、般若みたいな顔じゃなくあの人本来の母の顔で娘ちゃんを見つめてくれますように、と祈りながら、反対方向に歩いた。半泣きで。
自分を取り戻して心を平穏に保つには、1日のうち最低1時間、一週間に一回は数時間、子どもから離れて自分だけの世界に入ることが絶対に必要。少なくともわたしには。
この世からワンオペが撲滅しますように。
マジで。