昨年の6月から書き始めた脚本がまだ終わらない





妊娠後期の体が辛くて全く筆が進まず7月が使い物にならず、
8月に殿下が生まれて2ヶ月くらいは軟禁生活で仕事など出来ず、
10月頃から再び書き始めたものの育児しながらの執筆はまるで捗らず、
11月の終わりから2ヶ月ほど実家に帰り三分の一ほど書き進めたもののイマイチストーリーに納得が行かず、
帰ってきてメガネ氏に相談したらやっと納得のいく流れが見えて、今度こそ書き上げるぞと誓い叔母の家に転がり込んで約1週間。
やっと、やっと!!!
脚本を書くという作業が楽しかったことを思い出せた。
意識したのは、
「書きたい!」という波が来るまで辛抱強く待ち、その波が来たらなるべく集中して波に乗り続けること。
当たり前のことなんだけど、子育てしてると授乳やら離乳食やら子どもの咳やらくしゃみやらお遊びやらで、集中力を持続させることが至難のわざ。ってゆーか不可能。

マジでこれが予想外過ぎた。
集中しようとパソコンに向かっても、バウンサーに乗って歯固めをハムハムしたり、歩行器に乗ってキャッキャとはしゃいだり、うつぶせになって思うようにおもちゃが取れなくて悔し泣きする殿下を見てたら、瞬殺で仕事脳がオフになり、愛しすぎるラブリーベイベにゾッコンの完全ママモードになっちゃう。
そんな中、納得のいく本を仕上げようと思ったら、この、内側からくる波を正確にキャッチしてノッてる時に行けるだけ進む作戦を取るしかないということに気付いた。
今まで、自分の作品でダウンロードするみたいにスルスル筆が進んだことはあったけど、仕事においてこれほど内側の感覚を大切にしたことはなかった。
締め切りに間に合うように、
オーダーに沿うように、
お客さんに分かりやすいように、
辻褄があうように、
その「波」が来てなくても、書かなきゃいけないから、書いてた。「書きたい」とかじゃなくて。
両者の何が違うって、
台詞のひとつひとつ、もっと言えば一文字一文字に込められたエネルギーが全然違う。
もう一年近く締切過ぎてるし、

プロットの段階でギャランティ頂いてて信用にかかわるし、
内容的に興味深くて落としたくないし、
こうなったら、例え大幅な修正を言い渡されたとしても、初稿から絶対的に自信のあるもの、わたしが面白いと思うものを提出できなければ書かせてもらった意味がない。
だから、例えばひとつのシーンの中でも「ここは今気乗りしないな」と思う部分は飛ばして、後日そこを書きたくなるまで手を付けない、というやり方を取ってる。
その波がなかなか来ないので歩みは遅いけど、書き進めてゆくシーンについては確実に楽しいから、最終的に、「書きたい!楽しい!」を寄せ集めた作品は、わたし的には楽しいものになるだろうという気がしてる。
とりあえず、
進んでるか、間に合うか、わかりやすいか、
より、
どういうエネルギーで脚本に向かうか
を、何より大事にしてやってみてるところ。
まだ三分の一くらいだからどうなるかわからないけど、最終的に満足のいくものが書けたら、今後もこのやり方を採用するつもり。
また報告します。