今月の15日で、殿下は3ヶ月。
わたしはお母さんになって、3ヶ月。
メンタルのブレや揺れは、産後直後よりは多少マシになったものの、殿下の成長に伴いまた別の心配事や不安が出てきたりして、なかなか子育てを手放しで楽しむところまでは行けてない。
恐らく、子育てのしんどさとは、単純に仕事量の増加ではない。
いつどうなるか(死ぬか)わからない未知なる生命体の命に、24時間1秒たりとも休む暇なく責任を負うことのしんどさ。
これに尽きる。
しかもその未知なる生命体は自分がお腹を痛めて産み落とした、世界一愛しい存在ときてる。
おっぱいは足りてるかな、
ミルクの量は合ってるかな、
寒くないかな、
暑くないかな、
ウンチ出てないけどしんどくないかな、
ご機嫌斜めだけどどこか痛いのかな、
いま少し放っておいて家事して平気かな、
そろそろ行って抱っこした方がいいかな、
もう少し泣かせて大丈夫かな、
咳してるけど風邪かな、
鼻水苦しそうだけど吸引しようかな、
起こそうかな、寝かしとこうかな、
もうこの服じゃ寒いかな、
埃とか猫の毛とかアレルギー平気かな、
もう少し外気浴させるべきかな、
おもちゃで遊んだ方がいいかな、
うつ伏せの練習しなきゃ、
ずっと寝てたら絶壁になっちゃうな、
なんで泣き止まないんだろう、
わたしの不安を感じてるのかな、
不安にならないようにしなきゃ…(→あたまに戻る)
信じられないほどに、初めての育児というのはえんえんこれの繰り返しだ。(少なくともわたしにとっては)
もちろん、我が子は可愛いし愛しい。だからこそそれ故に絶え間ない不安と心配が心に押し寄せ、その度にたった一人で決断と選択を迫られる。
わたしだって、母になってまだ3ヶ月にも満たないペーぺーだ。わからないことだらけ、不安だらけ、心配だらけで、答も正解もわからない中でそれでも息子のために「今この瞬間にどれか」を選ばなければいけない。
そのしんどさ、重さ、プレッシャー、大げさでも何でもなく1秒も逃れられないその重責を、「ママなんだから当たり前」と括られてしまったら心はへし折れる。
パートナーに理解して欲しいのは仕事量の過酷さではなく、この根幹的な部分でしかない。
でも現実問題、なかなかここを理解できる父親は少ないんじゃないかと思う。(特に一人目は)
優しいメガネ氏でさえ、今のところここを解ってくれているとはとても思えず、絵に描いたようなすれ違い、心のズレにこのところわたしのストレスは跳ね上がり気味だ。(そして同じくメガネ氏のストレスも跳ね上がってるはず)
仕事が忙しそうな彼は、夜のうちの洗濯とお風呂掃除をしてくれていて、早く帰れる時はごはんも作ってくれる。
気が付いたらミルク用のポットのお湯を替え、主にわたし用の麦茶を作り、手が空いた時はわたしの布団を畳み、殿下の鼻水を吸引してもくれる。
だがしかし、
だからと言って先述の「根幹的な母親の重責」を理解しているかと言えばまた別の話になる。
こういう風に、母親側が育児のしんどさについて物申せば、必ず返ってくるのが
パパだって仕事で大変なんだから
っていうやつ。(本人じゃなくても周りから言われたりする)
わかるよ、勿論。お気楽にやってるとは思わんさ。
ただ、仕事の大変さって、今に始まったことじゃなくね?
よしんばそこに新たなる家事分担が幾つか加わったとしてもだよ。
こちとら子どもが生まれてから人生大転換して「今までどおり」が殆どない、言わば一回死んで生まれ変わったくらい全てが激変した状況
なわけですよ。
慣れざるを得ないから3ヶ月経ってそれなりに解って来た部分もあるにはあるけど、基本的にはやることなすこと全て未知だよ?
日々刻々と成長を遂げる子どもが見せる「新しい何か」は当たり前に母親にとっても「新しい何か」であって、最終ゴール「この子の命を守り無事に育て上げる」を目標に、日々そこに直面し続けながら決断と選択を迫られるその圧倒的な孤独をね、
解って!!!
って言ってるの。それだけなの。
あ、「解って」っていうのは共感してとか理解してって意味じゃなくてね、なんつーか
そう感じてるんだな
ってことを知っといて。理解しなくていいから、わたしの孤独と不安を共有しといて。
みたいな感じ。
きっと無意識に、「子どものことは母親が主体」っていう風に、変に線引きしてるパパが多いんじゃないかな。
みたいな話を今夜メガネ氏としたら少しはスッキリしたけど、子どもが出来るって、夫婦という他人同士を強く結び付けるか、反対にどんどん関係性が遠のいていくかの二択なんじゃないかなと思う。
ひとつ言えるのは、守るべき我が子を持った母親はその子のためにスーパードライにも鬼にもなるってこと。
そして不幸な場合、その対象がパートナーにもなったりするわけだけど、そうならないように努力し続けていくのが、お互い親の責務かなって気がする。
寝ます。おやすみ。