出産レポの続きというか、出産についての総括です。
現在、息子は生後三週間。
わたしはまだまだ絶賛産褥期で、切開の傷ではなく「深く裂けてます」と言われた奥がまだしくしくと痛み、円座クッション二枚重ね作戦ナシには椅子にも座れない状態。

それでもじわりじわりと、薄紙を剥がすようには快方に向かっていて、動きもウミガメから近所のおじいさんくらいにはなった。
母、叔母、祖母に見守られた恵まれた環境での里帰り育児ながら、ホルモンバランス総崩れのせいでメンタルは不安定極まりなく、退院後すぐから今までは、本当に些細なことで不安になったり傷付いたりして泣いてばかりいた。(詳細はtwitterやFacebookでその都度愚痴ってる)

出産の経緯はレポに書き尽くしたので、改めて振り返ることももうないのだが、とりあえず
人生最大の痛み、
人生最大の疲労、
人生最大の感謝、
人生最大の喜び、
人生最大の驚き、
を同時に味わえた、人生最大の経験だったことは確か。
このブログのカテゴリー「女性のからだ」にある、妊娠中のしつこい愚痴と文句まみれの記事を読んでもらったらお解り頂けるかと思うが、マジで自分が我が子最強に愛しいぜベイベと感じるなんて微塵も思ってなかった。
それが本当にたった1日で、人生観が総変わりするくらい、わたしの根っこがまるごと変化した。
陣痛促進剤も使わず、子宮口も順調に開き、鉗子分娩や吸引分娩ではなかったことで「安産」と言われたものの、初めての出産はそれでもやっぱり笑うしかないくらい壮絶で、わたしにとってはこの上なく衝撃的な経験だった。





あれを乗り越えた自分、
乗り越える力になってくれた夫、
そして誰よりも頑張って生まれてきてくれた息子。
まだ一緒には暮らせてないけど、あの日のあの経験が間違いなく、わたしたち三人を「家族」にしてくれたように思う。
そして、サポートしてくれた家族と助産師さんたちへの感謝が吹き出すと共に、ちょっとこれは綺麗事っぽく聞こえるかもだけど、
すべての命への敬意と愛しさと感謝
が倍がけで跳ね上がり、見える世界を一変させてくれた。
実際に子どもを生んで、
我が子だけが大事で可愛いくなるかと思いきや、甥っ子や姪っ子や従兄弟たちの子、友人の子や知らない子たちまで、とにかくみんなが等しく大切で愛しくて、慈しまれるべき命なのだと感じるようになった。
勿論わたしにとって息子は特別な存在だけれど、わたしが息子を愛しく思うように、他の子どもたちもまた、その親御さんやご家族から愛され大切にされている存在なのだとガッツリ腑に落ちて、理屈ではなく体感として、本当に、子どもは宝で人類共通の財産なのだと解った。
更に、これまで政治ネタ、社会ネタに関心が高く、某政党や現政権に批判的な感情を抱いていたが、もうそんな風に、誰かや組織を恨んだり憎んだりしている時間が勿体無い、と思うようにもなった。
もちろん、怒りを感じたり失望したり悲しくなるニュースも沢山あるけれど、そんなことに時間を使うより、とにかく今は全力で息子に愛情を注いで、彼の望むかたちでわたしのエネルギーを与えたい、という思いの方が強い。
息子は、さすがわたしを母親に選んできただけあって、今のところ本当に手がかからない。
昼もよく眠るし、夜もまとめて4、5時間は寝てくれるし、理由もなくギャン泣きしたりしないし、夜中にお腹が空いて目が覚めても、泣くことなくフガフガ言いながら手足をばたつかせるだけで、わたしが気づくまで、薄闇の中細い目を開けてじぃっと待っている。
ミルクを作ってくるね、
トイレに行ってくるね、
ちょっと待っててね、
という言葉もまるで理解してるかのように、泣いていても泣き止んで、大人しく待っていてくれる。
あまりに聞き分けが良くて、そんな息子の素直さがいじらしくてたまらなくてよく泣いてしまうのだけど(わたしが)、確実に感じるのは、この子はわたしにとても大切な事を気付かせに来てくれたのだな、ということ。
言葉ではうまく言えないが、小さな息子が教えてくれることが大きすぎて、その処理が全然追いつかない。
わたしには、出産は必要な経験だった。それは間違いない。
見える景色、
聞こえる音、
感じる事、
考える事、
自分への愛情と他者への目線、
世界との向き合い方。
そのどれもをシフトさせてくれのは、生後1ヶ月にも満たない息子だから。
でも、だからと言って女性はみんな出産すべきだとか、出産が誰にとっても人生最大の経験だなんて言うつもりはない。
あくまでわたしには必要だったというだけで、生まない選択をした人、生みたくても生めない人、そもそも生みたくない人、すべての人がそれぞれ必要な経験をして、それぞれの気付きを得て魂を磨いてゆくのが人生なのだと思うからだ。
出産という経験により、持って生まれたわたしのオリジナルカラーが一段と極まって、そのおかげで他の人が持っているその人のオリジナルカラーの素晴らしさ、尊さ、個々がカラフルであることで世界がより鮮やかに彩られることの素敵さが身に染みて理解出来た。
幸せも不幸せも、実はすべては自分で決められることで、現実や出来事のみで測れるものではない。
表面的な部分だけを見ていたら決して解らないけれど、みんなちゃんと、自分に必要な経験をプログラミングしてこの世に生まれて来てるのだと思う。
だからもっと、
楽に、
自由に、
思い切り「自分のまま」で、
大きな流れや宇宙を信じて、
ただただ、幸せになること、幸せであることを自分に許せるようになったらいいな。
いま、日本は全国で災害が多発していて、実際被害に遭って大変な状況にある人、この先どうなるのかと不安になったり心が不安定になっている人も多いと思う。
被災した人たちを前に、これも必要な経験なんだとか、幸せも自分次第なんて言うつもりはない。
ただ、みんなにそこを乗り越える力があることをわたしは信じてるから、物理的、精神的な支援を受けて、また立ち上がれる日が来ることだけは信じていてもらえたらと思う。
そして被災地の人たちを支えられるのはいま被災してないわたしたちだと思うから、お互い様精神でやれることをやって、他人事にしない、諦めないことが大事なんじゃないだろうか。
災害は、単に物理的な地殻変動や異常気象ではない。だからと言って地球が怒ってるとか、天罰だとかいうものでもない。
やっぱりそこに住んでいるわたしたちの意識の反映なのだと思うから、一人一人が自分の心の中をしっかり見据えて、心の掃除や断捨離をして、余分なものを手放すように努める他はないのだと思ってる。
だからホントね、まったくもって他人事なんかじゃない話なんだ実は。
話が逸れたけど、出産はわたしにとって、
より広い視野で、
より高い視点で、
より深い愛で、
人や世界や物事を見れるようになった大きな転換点となった。
たぶんしぬまで、子どもにまつわる不安や心配は消えないだろうけど、そういう気持ちも否定せずに受け入れながら、それでも根底に流れる目には見えない大きなちから、わたしを生かし息子を生かしている宇宙の意思みたいなもの、息子自身が持っている生きるちからを信じて、とにかく今という瞬間をひたすら楽しみながら進んで行きたい。
おまたの傷が痛んでも、おっぱいが鉄の胸あてみたいでも、ボラギノールが手放せなくても、ヨロヨロのボロボロでも、
この子を生んでよかった
この子に会えてよかった
そしてこの先一緒にこの子を見守っていくパートナーが、夫でよかったと思えるわたしは幸せだ。
更に、それを感じられる人生を与えられたこと、生んでくれた母や、父、家族や友人、ご先祖様にも感謝が止まらない。
出産は 感謝を広げる 拡張器。
まさにこれかな、総括としては。
長い割にまとまりのない文章ですみません。
お読みくださりありがとうございました。
これにて出産総括、終わります。