出産レポの続き。





陣痛開始から13時間半、破水から2時間、ようやく子宮口全開。


子宮口全開…

そう、すべての自然分娩産婦が首を長くして待ち望む瞬間、それが子宮口全開である。


解りやすく言えば、1ヶ月分のう◯ちをお腹に溜め込んだ状態で浣腸をされ、激痛に耐え便意を我慢して我慢して我慢して我慢した挙句、



はい、もう出していいよ!



ってゴーサインもらえた状態。


ゴーサインをもらったわたしはようやく、子宮口が全開大になった産婦のみが立ち入りを許される最後の聖域、分娩室へと人生の駒を進めることになった。

やっと、やっとか… やっと生まれるのか…と束の間の間欠期(痛みが止まってる時期)に少しだけホッとしたら、Sさんの、


「良かったね〜。今日中には生まれると思うから!」


という信じられない言葉が耳に入ってきた。



……え、今日中…? まだあと5時間コレに耐えろっていうの?







ソレハツマリ、ワタシニ「シネ」ッテコトデショウカ…?



朦朧とする意識の中、陣痛室の目の前にある分娩室に、絶望と点滴を引きずり歩いて移動。

痛みの波が休む暇なくさざ波のように押し寄せてきて立っているのもやっとで、波が来るたび立ち止まって堪えて…を繰り返してたら疲れ果て、行きたかったトイレを諦めてのそのそと分娩室を目指す。



「初産婦さんはここからがまだかかるからね〜」



という、Sさんによる悪意ゼロの呪詛を半泣きで受け止め、覚悟を決めて分娩台へ。


どんなに激しい痛みの中でも、死にたいとかもう止めたいとか殺してくれとは一度も思わなかったが、



マジで世の中のお母さんたちってみんなこの痛みに耐えて子ども生んでるの??よく今まで人類滅亡しなかったな!!

女って半端ねぇ!!!



と、感動なのか驚愕なのか感嘆なのかよくわからない衝撃は感じていた。


分娩台に上がってからは、


はい、どうも〜!子宮口も全開ってことでね、痛みの方も娩出に向けてグイグイレベル上げさせてもらいますけども〜


みたいな感じで、どんどん痛みが増していった。


痛みのレベルを表示する例のモニターでは、陣痛室で雄叫びを上げてた頃で70くらいだったのが、今や199という数字を叩き出し、振り切れてデジタル表示が点滅してたらしい。(メガネ談)


子宮口が全開になったとはいえ、赤ちゃんの下りてくるタイミングに合わせる必要があるため、まだ好き放題いきんで良いというわけではない。

ただ、どうしても我慢出来なくていきんじゃう痛みはいきんじゃって大丈夫、とのお許しをもらい、気持ち的にはかなり楽になる。(体は全く楽にはなってないチーン


深い呼吸をと心がけるも、逃しきれないいきみを処理する時はどうしても、獣のような、おじさんのような呻き声をあげてしまう。

Sさんには「静かに息を吐き出すの!」と言われ、その都度ヒプノバースやソフロロジーを思い出そうと頑張ってもみたが、



…はぁはぁはぁ、そうだ、痛い時ほどリラックスだ。次の波が来たら体をゆるめてみぃぃよぉぉぉーーーーうぉーー!!痛ぇーーーーー!!!


の繰り返しでまったくもって無理だった。

最後はどちらに関しても、




創始者連れて来いや!!ムキームキームキーむかっむかっむかっ




と思った。(※わたしが付け焼き刃なだけでちゃんと学んで穏やかな出産をした方も沢山います!)


そんな感じで苦しむこと1時間、ようやく赤ちゃんのあたまが見えてきたということで、娩出の準備が着々と整えられる。

ずっと付いてくれてたSさんに、一回いきんでみようか、と言われ、その通りやってみたところ、


「そうそう、そのチカラ! 上手い、上手い!」


とライトに誉めてくれた後、二本の指を、慣れない大仕事で戸惑いっぱなしのわたしの膣に引っ掛けて、思いっきりグイグイと下に引っ張りながらエキスパンダさせるではないの!!






膣の扱い、雑っ!



これにはもう、ただただ驚いた。そんなに雑な感じでグイグイ引っ張っちゃうの?ポーンポーンポーン



あの…そこ一応、ゴム製の小窓とかじゃなくて人体の一部、わたしのおまたなんですが!?



そんなわたしの心の声に関係なく、おまた側に助産師さんたちが集まり始める。(この頃はもう、あたま側にいたメガネ氏が何をしてたのか全く知らない。見えてない)

初めましての綺麗な女の先生に「少しだけ会陰切開しますね。裂けちゃうより後が楽だし綺麗に縫えるので」と説明され、抵抗する気も気力も更々ないわたしは「はい…」とだけ言って再び、もう何度目かわけがわからない劇的な陣痛の渦へ飲み込まれる。


しかしながら、陣痛の痛みを、体の中央部を貫く太い丸太だとすると、会陰切開に伴う麻酔、切開そのもの、その後の縫合などは、鋭利な小枝で肌を突き刺すような全く別物の痛さで、わたしの場合は「陣痛の痛みが酷くて気にならない」みたいな幸せなことにはならなかった。

こっちはこっちで、別ルートで神経が感知しちゃって完全に痛かったよね笑い泣き笑い泣き笑い泣き

陣痛中はほぼ「痛い」って言わなかったけど、このトンガリ系の痛みに関しては黙ってられなくて、麻酔も切る時も縫う時もいちいち「痛い!」って言ったよ。


その頃ちょうど隣の分娩室では別の産婦さんが出産真っ最中で、「どっちが早いかな〜」と助産師さんたちに言われてたんだが、わたしより30分ほど早く、隣室からオギャアオギャアと元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。



すごく嬉しくて、

ああ、お隣さん無事に生まれたんだ…良かった! 赤ちゃん元気に泣いてるなぁ…わたしももう少しで我が子に会えるんだ…がんばろう!!チーンチーン

とチカラを貰った。が、次の瞬間またもや激痛の濁流へ…



そしていよいよ、赤ちゃん下がってきたから、もう思いきりいきんじゃおう!というハッピータイム(ある意味)に突入。

SさんとFさん、そして綺麗な女医さんの3人が待ち構える中、指揮をとるFさんの声に合わせて、天狗ってゆーかタコ焼きみたいな顔で何度かいきむ。


大げさじゃなく、こんな顔。



痛みの波はもう「痛い」という感覚をとっくに超えていて、ちょっとなんて表現していいかわからないけどものすごいエネルギーだったことは確か。



この「いきみ」ってのがまたね、陣痛とは違った意味で果てし無く壮絶なんですわ。笑い泣き


絶え間ない、しかもマックスに振り切れてる陣痛の波に乗り、物理的に赤ちゃんの頭っていうそれなりの大きさのものを、じゅうぶんな広さがあるとは言い難いおまたから出すんだもの。

そしてうちの子、「ちょっとあたまが大きめだからなかなか出て来ないね… 挟まっちゃってる」とのことで、「あと5回くらいで出てくるよ」というSさんの予想を裏切って、なかなか出て来てくれなかった。


陣痛は痛いし完全におまたにあたまが挟まっててそっちも痛いし、もうどこの何がどう痛いんだか全くもって不明瞭なまま、痺れを切らしたFさんが、「もう絶対次で生んじゃおう」と目の奥を光らせた。

わたしとてもう一刻も早く終わらせたかったので、次の波に乗っかって三回ほどいきんだら、勝手に赤ちゃんがドゥルリ…ではなく、明らかにFさんが手を突っ込んで引っ張ってくれたな、っていう感触と共に、確かにあたま大きめの、なんか薄紫色した息子がドロンと出て来て、おまたの向こう側に見えた。


















……生まれた…。








2018年8月15日21時16分、十月十日の妊娠期間を含め、長い長いわたしの闘いが、遂に終わった瞬間だった。



鼻がぺちゃんこの我が子はお世辞にも可愛いとは言い難く、どう贔屓目に見てもぬらぬらした妖怪みたいだったけど、見た瞬間間違いなく、


ああ、わたしとメガネの子だな


ってゆーことだけは解った。(当たり前なんだが)







すぐに胸に抱かせてもらった息子はとても小さくて(つっても3キロ超え)生暖かくて、ホニャホニャ動きながら確かに生きていた。

「みかちゃん、ほんまにお疲れさま」と、目にキラリと光るものを滲ませたメガネ氏はここで一旦退出。

メガネ氏曰く、わたしもこの時目が潤んでいたらしいが、感動して泣いた覚えはひとつもなく、たぶん「やっと終わった」っていう安堵感で泣いてるように見えたのだと思う。




その後はまぁ、おまたを縫合してもらったり、切開したうえに奥が深く裂けてますねと恐いことを言われたり、ノーマルサイズの分娩台がわたしには小さく、脚を折り畳む角度が鋭角になりすぎていたせいで太ももがプルプルと痙攣したり色々あったが、特筆すべきこととしては胎盤がめっちゃでかいってことだろうか。

後産として美人の女医さんがズルズルと胎盤を引っ張り出して下さったんだが、これがまた結構な感じで痛ぇのな。


そして出て来てビックリ!!


先生も助産師さんも驚くほどの立派な胎盤で、「お母さんが大きいからか、胎盤もすごく立派ですねぇ!このお陰で赤ちゃんにちゃんと栄養が届いてたんですよ〜」と誉められる。

しかも「すごく綺麗!見ます?」とのことで、見てみたら、赤ちゃんのあたま二つ分くらいの面積の、不気味な色の巨大ゼリーって感じのものが、銀色のトレーの上でプルプルしてた。

自分ではどうにもコントロールできない内臓(?)、胎盤をこんなにも誉められて、なんだかこそばゆいような、心底どうでもいいような謎な心境だった。



その後、綺麗に洗ってもらった息子が小さな移動式ベッドに乗せられて来て、メガネ氏が再び呼び戻され、2時間動いてはいけないというわたしと共に、明かりを落とした分娩室で一緒にいてくれることになった。

小さな息子はスヤスヤと眠っていて、ついさっきまでこれがお腹に入っていたなんて信じられなかった。


感動したり、母になった実感がわいたのはもっともっと後のことで、この時はもうひたすらに疲れ果てとにかく眠たくて、ただじっと眠っているだけの息子と、くたびれ果てていたであろうメガネ氏と、2時間ものあいだどのように過ごしたのか殆ど記憶がない。


明日から退院までのスケジュールを説明されている間も、助産師さんの言葉がほとんど頭に入ってこなくて、すぐにでも寝落ちしそうだった。


2時間後、息子がナースステーションに引き取られて行き、メガネ氏が入院中過ごす個室へと荷物を運んでくれ、わたしは車椅子で部屋まで移動。

長時間トイレを我慢したせいで膀胱が麻痺し、尿意はものすごいのにおしっこが全く出ず、苦肉の策で導尿してもらったら600mlくらい溜まっててビックリした。


まさに全身ズタボロの屍状態で部屋まで辿り着き、メガネ氏の手を借りながらベッドに横になる。

助産師さんが引き上げた後も、メガネ氏はわたしが過ごしやすいようにあれこれと部屋の中を整えて、「ゆっくり休みや」と言って、迎えに来てくれていた叔母の車で帰って行った。

時刻は多分、この時点で深夜12時半を回ってた。



一度寝転んだベッドから起き上がる気力もなかったので、歯磨きもせず顔も洗わず、そのまま泥のように数時間眠った。が、身体中が痛くて朝の4時頃に目が覚め、出産のコーフン覚めやらぬアドレナリンマックスのテンションで親友にLINE。

なぜか起きていてすぐに返信してくれた彼女と、小一時間ほどやりとりをして再び眠りについた。



その後、目が覚めて窓の向こうに見えた朝焼けは、一生忘れないだろう。

こんなわたしをお母さんにしてくれた息子の無事の誕生に、ようやくしみじみと幸せ(というよりこの上ない解放感)を感じられ、まるでそれを宇宙が祝福してくれているみたいな、それはそれは綺麗な空だった。







つづく。この回特に長くてごめんなさい!

次で終わります。