同期のりょうに声をかけてもらい、俳優の冨家さん、女優のマリーと4人で飲む。

昼間、炎天下の動物園をキイを背負って歩き回りクタクタだったんだが、絶対行きたい、行かなきゃいけない気がする!と思って行ったら、やっぱり実りがあり過ぎて驚いた。



直感はウソつかない。



またこれを確信してる。


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冨家さんの計らいでここでもお誕生日をお祝いされてたりょうちゃん。言い飽きたけど一応おめでとう言っといた。


なんかね、今夜はほんとに行かなきゃいけない気がして。


もう自分に嘘はつかないと決めてるから、どんな用事であれ、行きたくなくなったらたとえドタキャンであれ断るつもりで生きてる。


けど今夜はね、体力的な疲れを感じつつも、



直感が「絶対に行け」と言っていた。



そしたら本当に、実りや気付きがやたら多くて。


冨家さんの言葉に「ハッ」とすることが多くて、あーこれを聞きたくて今日来たんだな、って何回も思った。



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「避難口」がいちいち気になる…



一人では答えの出ないこと、
悶々として絡まりがちなこと、
毎回マイナスに捉えてしまうこと、

そして、いつもと同じ気楽なメンツで集まるだけでは思いもよらない考えや発想が、こうして異色のメンバーが揃うとポンポン拾えたりするからすごい。(いつものメンツがダメという話ではない)




とは言え、「自分でいる」ってなかなか難しくて、例えば今日みたいに尊敬してる先輩と会う時に、前のわたしは


失礼のないように、
その先輩が気持ちよくなるように、
自分を抑えて相手に合わせるように、


と、そんな事ばかりを意識して場を過ごしていた。


ともすればこれは、社会人として大人としてごく当たり前のマナー、セオリー、渡世術ということになるかもしれないが、いつまでもこれをやって、その瞬間瞬間自分への小さな嘘を積み重ね続けているうちは、本当に変わることは出来ないと思うようになった。


今日、大先輩の冨家さんと話していて感じたのは、こちらが相手に対して勝手な制限を設けて「極力本当の自分を出さないように」努めることは、相手の器を見くびることであり、信頼関係を築くチャンスを放棄することにもなるということだ。


そもそも、



本当の自分を出したら嫌われる



という思い込み自体が大きな勘違いというか、本当は優しいかもしれない世界を、勝手に生きづらくしてしまっている原因なのだ。



だから今夜は意識的に、

自分が話したいことを話す、
話したくなければ話さない、

というスタンスを心がけた。



ひとえにこれは、冨家さんの人間性と器を信頼しているからこそ出来たことで、ある意味練習させてもらったような感じなのだが、そこから思いがけず話が広がったり、相手からもらう意見にハッとするような気付きがあったりして、やっぱり自分を出し惜しみすることには何の意味もないのだと思い知らされた。


何人かでいる時に、自分の意見を言いにくいひと、なかなか会話に入っていけないひと、上司や先輩に遠慮して聞き役ばかりに回ってしまうひとはまず、


絶対的に信頼出来る目上の人と話す中で、少しずつ自分を出していくトレーニングを積めば良いのではないかと思う。今夜のわたしのように。


きっとみんな、自分の思いを話すこと、意見を言うこと、心の内を明かすことは恐いのだ。

でもだからこそ、先にそれをやってのけた相手には自然と尊敬や信頼を抱ける。


オープンハートで生きてるひとには、オープンハートな人が寄ってくる。


常にそういう人でありたいな。



あー、楽しかった照れ