昨日、6月に亡くなった近しい友人のお父様のご仏前に手を合わせに行って来た。
生前、メガネ氏の作ったチョコレートケーキを「美味しい」と言って気に入ってくれていたパパさん。
遺影には、ケーキを食べながら何とも言えない至福の笑みを浮かべてるパパさんが。部屋に入って写真を見た瞬間、思わずこっちまで笑ってしまうような、とにかく素敵な笑顔が印象的だった。
メガネ氏とパパさんは直接面識はないが、メガネ氏も彼女に色々とお世話になっていることもあり、パパさんが気に入ってくれていたケーキを焼いて欲しいとお願いしたところ、二つ返事で「ええよ」と引き受けてくれた。
メガネ氏は彼女のママとも初対面ながら、用意してくださっていたご馳走の数々を頂きつつ、おしゃべりに花が咲いて、五時間くらい、飲んで笑って楽しく過ごさせてもらった。
パパさんとママさんの馴れ初め。
モテモテで、ママさんの他に数人の女がいたというパパさんの色男ぶり。
その割に真面目で責任感が強く、遠距離で愛を育んだママさんに「結婚しよう」と言ったパパさんの男気。
遠距離だった五年間、月一で大阪から東京に通い、毎日手紙を書いていたというママさんの強い愛。
当たり前なんだけど、わたしにとっては〇〇のママ、パパという立ち位置の二人にも、若い頃があり、男女として、恋人として、夫婦として重ねた時間があり、縁と奇跡の連続で、友人である彼女やその弟が生まれたのだな~と思うと、何とも言えない感慨深さに駆られた。
ママはパパさんのことが大好きで、心底惚れているという感じが話の端々からビシバシ伝わってきた。ふとした瞬間に少女の表情になるママがとっても可愛いくて、愛し抜いた人と四十年間連れ添って、見送って、文字通り添い遂げたママの、女性としてやり切った感がとても素敵だった。
それだけ好きだった人を失くして、どれほど淋しいだろうとは思う。
でも、心底好きだと思える人と出会い、最後まで一緒にいられた幸せの方が、きっとうんと大きい気がする。
身体を持って生きて、共に過ごせる時間は勿論大切で尊いものだけれど、大切な人を失ってみて、思い出や記憶、一緒にいた時間が何倍もの輝きを放って大きな意味を持つこともある。
そしてそうした記憶を持てる人は、間違いなく幸せだ。
寂しいだろうし、
哀しいだろうし、
痛いだろうけど、
それらの重さは紛れもなく、愛の深さと比例する。
寂しい分だけ、
哀しい分だけ、
痛い分だけ、
愛を感じられるママは、やっぱりとても、幸せなんじゃないかという気がする。
そんな二人の娘に生まれた、友人も、勿論。
「デコレーションして出したいから」と、フルーツと生クリームを別に用意して、彼女の家のキッチンを借りてクリームを泡立て、ブルーベリーソースを作ってフルーツをカットして、キウイで薔薇なんかも作って、より一層ケーキを美味しそうにお皿に盛りつけてお供えしてたメガネ氏を見て、きっと彼の優しさはケーキに乗って、天国のパパさんにもちゃんと届いてるな、と思った。
手前味噌ながら、本当に優しい人だなぁ、と感動してしまった。
パパさんは多分、ケーキに込められたメガネ氏の愛とか思いみたいなものをちゃんと感じ取って、美味しいって言ってくれてたような気がする。
やっぱり、誰かが亡くなることの影響は大きい。
人の死から気付けること、感じること、教えられることは計り知れない。どんな最期であれ、人生を全うしたした人の死をタブーにするのは嫌だなぁ。
改めて、パパさんにお疲れ様でしたの拍手を贈りたい。
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