めがね不在 夕餉のメニューは ビールとアイス、みかりんごです。
人の役に立つものを書かなくては!という思いでせこせこと記事を書いていたら、さきほどアメブロが突然グズり出して一瞬で全部消えました。8割くらい書けてたのに全消え。
一瞬激情に駆られて目の前のPCをベランダから投げ捨ててやろうかと思ったけど、
聞いてきたような話じゃなくて想いの乗った文章を放てや!!
と天に一喝されている気がしたので、気を取り直していちから書く。
テーマは前回に少し関連してるけど真逆の内容で、早急に手放した方がいい人間関係について。
職場や仕事上の知人など、切りたくてもそう簡単にいかない人間関係を除き、プライベートで付き合う友人についての話。
人は当たり前に変化する生き物ながら、おのおの変化の方向性、速度などに当然違いがあり、例え付き合いの長い昔ながらの友人であっても、ある日突然その歩みがズレ始めることもある。
久しぶりに会ってみて、あれ…なんか、前みたいに楽しくないな…とか、こんな人だったっけ?というような違和感を感じるなら、それはもうあなたにとって必要のない関係なのだと思う。
とは言えつい、でも〇〇ちゃんて本当は優しい人だし…とか、今まで仲良くしてきたから…という過去からの執着が入る。でも、会わない期間にそれぞれの価値観で日々を過ごし時を積み重ねた結果、これまで並行していたはずの道が、いつしか大きく枝分かれしている場合もあるのだ。
あなたを見下したりバカにしてくる、
尊重せずナメた態度をとってくる、
自慢話ばかりであなたの話を聞かない、
人の悪口をやたら言う、
「大丈夫なの?」とやたら心配してくる、
など、細かく挙げればいろいろあるが、「なんか一緒にいて楽しくない…」という違和感を感じるなら、卒業の合図なのだと思う。
プライベートの友人は、自分で時間を作り、予定を空けてそこに合わせない限り会うことはない。つまり自分で選べるということだ。
文字通り、その人の為に有限かつ貴重な自分の時間を捧げているのだと思えば、もはや不要となった関係に時間を割くことがいかにバカげているかが解る。
一緒にいて疲れる、嫌な気持ちになるなどマイナス要素がハッキリしているのはもちろん、意外に気付かないうえ最も手放しにくいのが、
一緒にいても、お互いこれ以上の成長・発展が見込めないのに、今までの居心地の良さから惰性で繋がっている関係
だ。
嫌だと思う人、不快に感じる人から離れることは容易いが、わたしたちは意外と、このぬるま湯的な関係性からは脱却しにくい。
なぜなら、それなりに心地良いから。
気心知れて、自分のダメな部分も知っていてくれる相手というのは一緒にいて気楽だ。だが、そこにもたれ合い甘え合い、刺激を与え合えなくなってしまうと、お互いを停滞させる鎖にもなりかねない。
バッサリ縁を切るべきだということではなくて、自分を前進・成長させたいのなら、あえてぬるま湯的関係から抜け出し、多少背伸びしたり緊張感を必要とする人たちと積極的に関わりに行く方が、わたしは刺激的で楽しい。
そして、気心知れて楽しく過ごせる友人であったとしても、各々の道で進化・成長を求めていれば、身近なひとが自分らしく邁進していく姿に力を貰えるはずで、停滞したり退屈だと感じたりはしないはずだ。
人間関係ほど、人生を変化させるのに重要で面白いものはない。そのためには、
☆違和感のある相手とは今すぐサヨナラ。
☆ぬるま湯からは勇気を持って飛び出す、もしくは自分がこのお湯を再度熱々に温め直すぜくらいのパッションを持ち込む。
そもそも、本当に縁が深く切っても切れない大切な関係というのは、何か違和感を感じた時にも、その違和感を正直に伝えたくなるものなんじゃないだろうか。
感じる違和感を相手に伝えようと思えるなら、きっとその人はあなたにとって必要な人。
違和感を感じるから離れよう、と思うなら、もう必要なものは与え合ったから卒業してもいいんだぜ、っていう人。
そこさえ見誤らなければ、違和感を感じることさえ恐くない。自分にとって大事で必要な相手にほど、嘘を吐かずに自分の気持ちを伝えよう。
一生の中で深く関われる人数は知れているから、本当に大切な人を見極める意味でも、言いたいことを我慢するのは得策じゃない。
人生は有限だからこそ、誰と過ごすかはとても重要で、自分の行きたい方向性を見極めて、そこにふさわしい相手と時間を共有していきたい。
おしまい。
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毒りんごの宴 8月バージョン
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