星野と東名の関係性。 | いまたんのブログ「おちょけごころ。」

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日本の中心あたりから痛車乗りがミニ四駆やったり、メタルを聴いたり、あれこれとおちょけ(=悪ふざけ)た感じでやっとります。

多分にボケたがります。多分に草はやします。

画像は自前のときもあれば、そうでないときもあり。ちょいと黙っててどうぞ。

FJ1300レースで走る星野一義選手。
マシンは東名自動車カラーに彩られ、ウインドスクリーン近くにはTOMEIの文字も確認できます。






そもそも東名自動車というのは城北ライダース創設メンバーであり、後に日産ワークス入りをした鈴木誠一選手などが興したチューニングショップ。











東名自動車や鈴木誠一選手に関しては省略させていただくとして、中堅ドライバーとなってきた鈴木誠一選手が同じ2輪出身で日産ワークス入りを果たした若き日の星野一義選手に目を付け、先ほどのFJ1300マシン(東名チューン)に乗せたところぶっちぎりの優勝を果たす。





GCにも乗り、格下のマシン・エンジンで好成績を残してきた鈴木誠一選手だが、後進の星野選手へバトンを渡すと宣言した1974年6月2日のGC第2戦で風戸裕選手とともに多重クラッシュに巻き込まれ、命を落とす。









その後、亡き鈴木誠一選手の恩に報いるためかどうなのか、事あるごとに東名チューンのエンジン搭載車を駆り、成績を挙げてきた。








僕が小学生の頃、プラモデルのシルビアニチラシルエットのバンパーに貼られた「TOMEI」のロゴを見て「スカGもブルもチューナーのステッカーが貼ってないのに、これはどういうことだ?」という疑問の正解に一歩近づけた気がします。










もちろんエンジンチューナーとしての東名自動車の腕も見込んで、のことでしょうけど。















スーパーシルエットの話は出てきませんが、東名自動車チューンの110サニーやサニーのエンジンを搭載しているFJ1300の話なんかにも触れているのが、レーシングオン最新号。
ちょっと近年まれにみる「読みごたえ」の大満足感はハンパないですよ。




「当時」を知る世代も、ヒストリックカーレースでしか知らない世代も、一度読んでみるといいですよ。絶対に損はしないはずです。