元 日産ワークスドライバーの都平健二さんが、4/25に逝去されたそうです。
1965年にワークス入りした「トッペイさん」。
1969年の日本グランプリでは高橋国光選手とのコンビでR382に乗りましたが、同時期にはハコスカでのツーリングカー活動もされていました。
高橋国光・長谷見昌弘の両名に比べて報じられることがほとんどないのが腹立たしいですね。
オイルショックに伴う各ワークス解体の波を受け「いちプライベーター」としてF2000やGCにも参戦したものの、先のように全く報じられていないのもあってオープントップのイメージはトッペイさんには全くないんですよね、
そしてトッペイさんといえばマイナーツーリング。もはや旧態依然としたカテゴリーのように扱われていた310サニー移行後のマイナーツーリングでは、イエローハットのスポンサードにより常勝軍団と化していましたね。
たしかゼッケン22がトッペイさんなんだけど、もう1台いるイエローハットが小幡栄さんだったっけな?
今おもえば、この頃のバトルをもう一度見てみたいですね。
そしてトッペイさんといえば、もうひとつ「ヂーゼル機器 」。グループAではノーマルに毛が生えた程度(実際すごく静かだった)のDR30で参戦。
そういや…この車ってリアスポイラーが設定されてんのに、何故つけてないんだろう?
トッペイさんといえばR31GTS-Rを思い浮かべる方も多いんじゃないでしょうか。スッキリとしたトリコロールカラーなのに、柔道の黒帯みたいに純正モールを残すのがかっこ良かった。
グループAではGT-Rに一瞬乗ったものの、N1耐久へ移行。ちょうどヂーゼル機器が社名をゼクセルへと変更するタイミングで、そのままスパ24時間にも参戦しました。
ゼクセルへと社名変更したタイミングで、JGTCにも独自製作車で参戦。
おもえば「何でスカイラインが四駆なんだ!」ってブチ切れてそうなのに、案外すんなり受け入れるどころかFR化せずに四駆のまま戦ってましたよね。
そして忘れてはならないのが、日産ワークスの盟友・長谷見昌弘選手とのコンビでグループCに参戦していたことですよね。
スーパーシルエットはスプリントレースなので長谷見選手ひとりでいいものの、グループCは耐久レースですからコンビを組む必要があります。
実力差や体格差などを考慮して、トッペイさんが選ばれたんでしょうね。
意外とLM04Cにも乗っていたんですよねぇ。
そしてこのカラーリングが、実はR383のそれを模したものだと昨日知ったとか…意外とそんなもんですよ。
JGTCやN1耐久を1996年に引退したあとは、自身のショップ・テクニカルショップリミットを経営されていたトッペイさん。華やかな世界に身を置くこともなく、ひたすらドライビング技術を磨いくその姿は「ハコの職人」そのものでした。
都平健二さん、今までありがとうございました。
日産ワークスの戦友、先輩後輩のみなさんと「あちら側」でゆっくりお過ごしください。
合掌。
都平健二さんのオフィシャルサイトからも声明が出されていますので、ご一読を。