ボルボ240Tは日本に持ってこれなかったのか? | いまたんのブログ「おちょけごころ。」

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日本の中心あたりから痛車乗りがミニ四駆やったり、メタルを聴いたり、あれこれとおちょけ(=悪ふざけ)た感じでやっとります。

多分にボケたがります。多分に草はやします。

画像は自前のときもあれば、そうでないときもあり。ちょいと黙っててどうぞ。

1985年のインターTECにやってきて、日本車をボコボコに叩きのめしていったボルボ240T。
チーム運営はスイスのエッゲンバーガーに託されていたものの、実質的なボルボワークス。




日本車は…といえば、ブスブスブス~と情けない音のN1程度のマシンしかいなかったので、ボロ負けしても仕方ないわけですが。














ただ翌年ワークス活動を停止したため、サテライトチームであるRASモータースポーツに託された240Tは…素地バンパーにメッキ&グレーのグリルで安っぽく見えたものの、インターTECでは優勝したのでした。














こうなるとボルボ自体が日本に正規輸入されていることもあるので、日本のチームが購入して全日本選手権へ投入!というのを期待してしまうんですが、そんな話も全くなく。
タイミング的に輸入代理店が帝人ボルボ(あの帝人(現TEIJIN)の子会社)から、ボルボジャパンへと移行するタイミングでもあったのでサポートが得られなかった?と推察されます。

現に85年のワークス活動時も、86年のサテライトチームの時も「ヨーロッパディーラーチーム」と貼られていたので、スカイラインシルエットの「NISSAN PDC.」のごとくディーラーからの寄付金なりが投入されていたのかもしれません。







そもそもボルボの240というモデルにターボが付いたのが1981年。インタークーラーを装着したのが1984年なんですが、その年にグループA参戦ベースである2ドアセダンの生産が中止になったため「もう売ってない車の販売促進活動のためにレースに出る必要がない」ということでワークス活動は1985年に停止したので、そもそもボルボ240Tは帝人ボルボで販売しておらず、協力も得られなくて入手もできなかったのかな?と勝手に考えてしまいますが…真相もこういう事なんじゃないでしょうか。











とはいえ、日本のプライベーターがボルボ240Tを購入して走らせている姿は、ちょっと見てみたかったですね。






でも、あれだけETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)で中途半端に強かったローバー・ヴィデスが、日本のサーキット路面と合わなかったのかさほど速くはなかったので、ボルボも「お察し」だったのかな?








あ、そうそう!
ボルボ240Tのオートマって、日本のアイシン製なんだそうですよ。知らんかったなぁ。