盆休前 |  就労継続支援A型事業所ドリフのブログ

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   日々の出来事やヤフオク商品の紹介、気になった歴史や福祉関連を書いていきます。

 明日から5日間お盆休みということで、ドリフ株式会社では朝からやり残しのないよう仕事に励んでます。このブログを書いてる人もやり残しのように昨日のブログで書けなかったことについて書いていきます。

 

 72年前の8月9日、広島県広島市に続いて長崎県長崎市にて2発目の原子爆弾が落とされました。当時の長崎市の人口24万人のうち、約7万4千人が亡くなり、その時に生き残った人も原爆症で現在もなお、苦しんでいます。60年以上経った後にそのことを調べたときに私は衝撃を受けました。実はこの日の原子爆弾の第一目標は長崎県長崎市ではなくて福岡県小倉市(現在の北九州市)だったのです。この日に原子爆弾を積んだ飛行機は小倉市の上空を飛んでいたのですが、雲か煙で目標がうまく分からなかったのです。長崎市の上空も雲で覆われていましたが、午前10:58頃、雲が切れ間から街が見えて原子爆弾を落とし、その4分後の11:02、市街中心部から北へ約3kmもそれた松山町で炸裂しました。街は一瞬で破壊され、そこに住んでいた多くの人が死に逝き、傷つき、地獄の様な光景でしたといいます。もしも、この日の小倉市の上空が雲も煙も何もなかったら、小倉市も同じような光景が広がっていたと、ゾッとしました。いずれにしても被爆した長崎、それを免れた小倉、双方とも決して忘れてはいけないことだと感じました。

 

 そして昨日のブログでも書いた浦上天主堂はそのとき、キリスト教の行事の『聖母の被昇天』に向けての『許しの秘跡(告解)』が行われていて、その教会内に多くのキリスト教信者が訪れたといいます。投下直後、高温の熱線や瓦礫の下敷きになり、司祭始め天主堂にいた信者全員が亡くなりました。歴史に詳しい人なら説明するまでもないですが、九州は戦国時代からキリスト教文化が根強く、大友宗麟や小西行長などキリシタン大名が有名な土地です。福岡県小倉市(現在の北九州市)でも奥さんがキリシタンな細川忠興が治めていた時期があり、妻・ガラシャを偲んだ鐘があるといいます。江戸時代の禁教令でも多くのキリスト教信者はその信仰を捨てず、260年も先祖代々受け継がれたその信仰、原爆投下によって途絶えてしまったと思うと心苦しいです。日本の反爆運動において被爆した都市を言うならば、『怒りのヒロシマ 祈りのナガサキ』といわれるのは、そういう土地柄なのかもしれませんね。長崎県も一応、仏教の『精霊流し』が有名ですけど、宗教関係ない祈りがこの土地にはあります。

 

 最近の情勢的にその日から6日後から現在へ続く平和が壊れてしまう不安が渦巻いていますが、反爆と平和への祈り、その時に被爆した高齢の被爆者、その後に生まれた人々、そして、天国にいるシシャたちも祈っているのだと思います。

 

ということを昨日のブログで書く予定でした。かなりの長文ですいません。では、宗教関係なくよい長期休暇をおすごしください。