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 リオパラリンピック開催を明日に控えて、今日のブログはパラリンピック関連のことを書こうと思っていたのですが、wikipediaのトップページで今日が2020年のオリンピック・パラリンピック開催地が東京に決まった日なので、今日は1964年と2020年の東京オリンピック関連のことを書きたいと思います。(でもパラリンピックのことも書きたい)


 1964年の東京オリンピックはアジア初のオリンピックで、戦後日本の復興の集大成ともいえる大会なのは周知の通り。その開催期間は10月10日~10月24日で、オリンピックの興奮も冷めない時期に行われたパラリンピックの設営準備がありました。

バリアフリー機能を兼ね備えたパラリンピック村は2日間の突貫工事で間に合わせて、選手移動も陸上自衛官101人が介助して、当時海外でも珍しいリフト付バスを自動車メーカーが特注で9台製造したなど、戦後の日本とは思えないが戦後の日本だからこそのあわただしい日々があったともいえない。(そして資金なんだったが、パラリンピックという名称がよかったのか、チャリティーの結果総額5000万円の寄付金が集まった)まぁとりあえず、パラリンピックの設営準備は出来たものの、重要なのは、選手たちです。日本では昔から障がい者は多数の人から白い目で見られて、ひどく差別される立場でした。したがって障がい者スポーツの認知度も低く、多くは人目を避けてやる他無かった。しかし、そんな事情を振り切るかのように、日本のパラリンピック初出場の選手たちは金1銀4銅5のメダルを取りました。これは、オリンピックの日本初出場は1912年のストックホルムオリンピックだけど、日本はじめてのメダルは1920年のアントワープオリンピックだから、つまりは日本の健常者選手の記録を日本の障がい者選手が超えた事になるのです。まぁ、当時の世界とのレベルの差とも関係あると思いますが、健常者選手にできなかった事を障がい者選手が勝ち取ったのです。パラリンピック以降、障がい者スポーツの認知度は高まり、車いすや義肢などの器具の性能も急速に上がる事になりました。

しかし、パラリンピックがメディアに報道されて多くの人に知られるようになるのは1998年の長野パラリンピックと、障がい者が一般スポーツクラブに入るのは難しいと、まだまだ健常者スポーツと障がい者スポーツの壁は厚いのです。それと同じく[福祉関連]のブログで書いたようにまだ障がい者の低権利やひどい差別がなくなったとはいえません。とまぁ、日本の障がい者スポーツ関連のことはこれくらいにしておいて、日本の障がい者権利の向上には今後に期待するしかないようです。


 2020年の東京オリンピックについては、最近多く報道されている通り、課題が山積みなようです。まぁ、まずは東京都知事が二人続けて任期満了できなかった中で小池百合子さんが就任して、オリンピック予算の見直しや築地市場の移転延期など、しかも防災対策や待機児童問題など他にも課題が山積みでとてもオリンピックの事にかまけてはいられない状況だと思います。でも、このブログを書いてる人個人としては期待しています。世界に誇れるようなオリンピックに、そしてより向上したパラリンピックになるのだと期待しています。


 4年後に向けて、お・も・て・な・し 3年前からの努力を無駄にしないオリンピック・パラリンピックにしたいです。