亡くなった母親は小佐野賢治の恋人であり日本舞踊の名手でもありました。 | drhanakaatamiさんのブログ

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私を産むと3日目で亡くなった母親は日本舞踊の名手であったのだと二十歳の時赤坂の芸妓置屋ひの家の女将からお聞き致しました。赤坂ひの家の養女だった奈々子さんは水原ひろしという歌手の奥様でございました。私も29歳で大富豪の旦那様が倒産致しましたからこの赤坂ひの家に少しの期間お世話になりました。半年間くらいだったかしら料亭千代新のお座敷にひの家の芸妓峰子として出させて頂きました。 大富豪夫人が一転して赤坂ひの家の芸妓になり赤坂コパカバーナのホステスにもなりました。私は誰も頼らずこの身一つで生き抜いてまいりました。人生いろいろ山あり谷ありいばらの道も雨にも風にも耐え抜いて生きてまいりました。今からも試練の道は続きます。人生死ぬまで勉強やでーと何時も言っていた旦那様の声がこの頃天からよく聞こえてまいります。そろそろ美空ひばりさん石原裕次郎さん高松宮喜久子様実父母養父母山岡久乃さん大原麗子さんがいらっしゃる天国にまいりたいと思っております。 ひばりさんとひばりさんのお母様には一段
とお世話になりっぱなしで何のお返しもしてないから何を天国に持って行こうか考えてしまいます。美空ひばりさんの紅白戦のお着物を旦那様の会社で何点も作らせて頂きましたし私もデザイン致しましたお着物を大変誉めていただいた思い出もございます。親しい方々がお亡くなりになるたびに次は私の番かしらと深く考え込む日々でございます。