妄想は夜するのですが、
夢に見るほど自分自身のココロが乾燥していると
妄想と夢の区別がつかない夜を過ごすことがある。
朝方のカーテンが閉まっている空間で抱き合っていた。
目をつむりながら、声を押し殺して、表情が歪む。
抱きたい一心だった
病院のベットのシーツはしわくちゃに
感じているのか、
我慢しているのか、
夜が明けきり、まわりの患者が起きてくる時間、
私の脳内にホルモンが満たされ、快楽というスイッチが
下腹部へ更に血液を流し込む
焦らないで、ゆっくりと彼女の中で、お互いの体液を
交換する。
声にならない声を聴く
両腕できつく彼女を抱きしめて、
唇を耳元へ息を吹き付けると、
のけぞるような体の動きが、波を引き寄せるスイッチ
になるようだ。浅く浅く、深く深く、時には動かさないで
軽い衝撃がカラダから伝わってきます。
中で満たされたときの彼女の反応,,,
それと同時に私の遺伝子も刺激によって宇宙に放出される
固く彼女を抱きしめて、余韻に浸る。
暫くそのまま結合したまま時間を過ごして、呼吸が落ち着くと
そっと、彼女から離れていく。
オトコに分かるあの香り、ゆっくりとカラダから白いものが
流れてくるのであった。
その光景を愛おしく思える。
いや、雄の本能か、合意のはずなのに、征服感と同時に背徳感
すべてが、その瞬間に感じ取れる。
オトコとオンナの出会いにはSEXで繋がる必要もあったり、
それ以上に、そこに信頼と信用が生まれるかでSEX以上の
気持ちの交換、精神的な感覚の正常化、
物理的な結合だけでは説明のつかない気持ちの繋がりが出てくるのです。
それを「愛」と云うには薄すぎる、
それを「恋」と云うにはちがう、
これからrespectしていける関係になるなんて、その時はそこまで考え
られていなかったのだけど、
繋がる「情愛」はココロとカラダのなかで信用に値する人に対してだけ
思える気持ちなのかもしれない。情愛は情人であるが故、お互いを大人
として尊敬できる大切な存在となるのではないでしょうか。
まわりの病人に築かれないように、
食事の時間が始まる前に、
シーツ交換が来る前に、
私は自分の遺伝子が染みついたシーツを交換していく。
2ヶ月以上逢えていない彼女を、
かなりの遠距離で簡単には逢えない彼女を
世間がこんな状態で疲れ果てる日々が続いても、
退院した彼女に逢いたい。
病院ではなく、ホテルに誘いたい。
あと何ヶ月、この状態が続いても、揺るがないもの
仕事仲間も身近な人間も知らない、
元気になった君を貪りたいのです。執拗に、カラダが動か
なくなるくらい、中の体温を感じながら強く抱きたいのです。
私は何色なのだろうか?
妄想はづづく,,,