誰だって幸せな一生をおくりたい。
そう思っているに決まってる!?

私、不幸になりたいんです。
そんな人いるわけない!?

不幸になりたい人がいるなんて
信じられない。

そう思っていた。
でも、
コーチングを仕事としてやりはじめて

不幸になりたがっているように
みえる人に遭遇する。

産まれた時は
すべての赤ちゃんが
よりよく快適に生きようと思っている。
(いや、無意識だけど
すでにそのようにプログラムされて産まれるから)

意識しているか
していないかに関わらず
「快適に生きる」ことが使命として
この世に生まれて来ているのだ。

しかし、
「快適」の基準が人によってちがう。

かなりちがうと感じることが多々ある。

それは自分の基準と照らし合わせると
「ちがう」と感じているだけ。

その人にとっての「快適」は
やっぱり「快適」なのだ。

「不快です」と言いながら
違和感を感じていながら
その場に居続ける事を選択する人。

「快適」と感じてしまった自分から離れることは
自分じゃなくなるような気がしているのかもしれない。
(自分の過去を否定してしまうみたいな感覚)

「不快」が快適化してしまっている場合もある。
(多くを望むと罰が当たる的な解釈)

昔は快適だと感じていたところが
年とともに、経験や感覚の成長とともに
不快と感じてしまった時。

昔を懐かしむのを止めて
今感じている不快を「不快」であると
しっかり認識することから始めないと

気がついているけど
延長線上の行動しかできないのは
変化を恐れているから。

思い描く「快適」が
本当に快適かどうかを疑ってしまう。

人は見た事のない地へは行きたくない。
そう、
現状維持機能が働いてしまう。

現状維持していたければ
そこに居続けることも
選択肢のひとつ。

居たい人はいればいい。
そう思えるようになったら
自分が楽になった。



子どもの頃の感性はするどい。
見るもの聞くもの感じるもの
すべてが新鮮だ。

それはすべてのことが
初体験だから
感動もでっかい。

大人にとっては
ちいさなことで喜んだり
ささいなことで悲しんだり

毎日が
ジェットコースター。

夕食のとき
ネジが切れたように
パタンとテーブルに突っ伏して
寝ちゃったりとか。

言われたことば
自分に対する態度
雰囲気

どれもこれも
バシバシ感じる。

子どもだから
誤解や曲解して受け取る場合も多い。

どんな人と接し
どんな印象を刻んだのか

どんな人に会い
どんな感じを受け取ったのか

子どもが大切だと思う人の
影響を強く受けて育つ。

子どもが重要だと感じた人を
手本にして学ぶ。

子どもの周囲に
いろいろな大人がいる。

子どもの頃に
身につけたものは
繰り返す事によって定着する。

子どもの頃の衝撃は
心の奥深くに刻み込まれる。

子どもの頃の環境は
人生を左右する。

遺伝因子と環境因子で
構成されている。

産まれてから
変えることができるのは環境因子。

どのような環境を提供できるのか。

こどもをとりまく大人達の
責務は大きい。


人生の指針、信条、信念、自分哲学

「今、現在、上り調子ではない。」
と感じでいる。
しかし、
瞬間、瞬間は楽しんでる。

どういうことか?
事業の景気や調子は良くないのに
楽しんでいる?

理論的には
矛盾していると感じるのだが
精神的には
矛盾を感じていない。

それはなぜか。

Here is the mental foundations for me.
常に自分に誠実であれ。
自分の直感を徹底して信じる。
ビジネスにおいて物販はしない。

この3つの自分の信条、指針が
守られていて
ぐらつかない自分が保てている。

日々、ゆらぎはあるが
そのゆらぎは心地いい。

ぐらつきが大きい生き方は
エキサイティングであるかもしれない。
刺激的かもしれない。

しかし、
心地よさや達成感を味わうことはできない。

自分のfoundationsは何だろう。
自己の人生哲学をもち
自己管理ができている
安定している人は
周囲に情熱と安心感を与える。

表面上の穏やかさや
表面上の華やかさ

これらを装っているいる人が多い。

「お疲れさまです」

この人の家族関係をみてごらん。
その人のまわりにいる人を見てごらん。
その人の言動を注意深くみてごらん。

情熱があって
ド~ンとかまえて生きている人を
お手本にするがいい。