篠田節子「レクイエム」(1999年)という文庫本を読み終えた。
篠田節子は、この作品を含めまだ2冊しか読んでいないが、好きな作家である。言葉に無意味な飾りのない、ホンモノの作家だと思っている。
この文庫本、短編集はちょっと退屈ではあったが、そこそこ楽しめた。
全334ページ。
この世界が或る時見事にひっくり返り、社会常識が大きく変わるとすると、当然の如く、文学などの芸術にも多大な影響が起きる。
歴史から科学から、何もかもこれまで常識とされてきたことは嘘だったから、である。
必然的に今までの文学の価値は落ちることになろう。
文学のこともそうだが、この世界を広く深く見てゆく上で、一番大事なことは、自分という個人の存在をとことん掘り下げ考えてゆくことになろう。
長年の間、常に疑問だったことが遂に昨日、氷解するようにスッと理解出来た。
人間の先天的な人格の種類である。
結論から言うと、人間には大きく2種類居ると私はこれまで語ってきたが、もっと正しくは人間には3種類居る、と思うに至った。
昨日私の書いたブログの記述を更に発展させた、昔のクレッチマーという精神科医が提唱した分類方法になる。
一応言っておくが、2種類の時の考え方と全く違う訳ではない。
今でも或る意味2種類と言ってもいいが、より正確なことを言うと3種類と言えるだけである。
これを理解することで、確信的な深い納得感を得た気持ちがすることから、恐らくというか、かなり真実に迫るものではないか。
今は、この説をこれ以上詳しく述べることは止したいが、これから、ところどころに自分の確信を得たことを鏤めるようにして書いてゆきたいと思う。