レッド・ツェッペリン、マスク生活終了? | 新時代思考記

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レッド・ツェッペリン「PHYSICAL GRAFFITI」(1975年)という作品。

ハード・ロックのお手本的なレッド・ツェッペリン、そしてこのアルバムという存在。

普通のハード・ロックにプラスして、ブルーズが存分に含まれている音だから、私は昔からこのアルバムが大好きだ。

2枚組CD。

 

 

マスク生活が漸く終わるらしい。

これまでの政府によるマスク推奨が、学校の卒業式などではしなくてもよいなどとして、徐々に緩むことになる。

そして来月の3月13日からは正式に(?)マスク着用は「個人の判断に委ねられる」こととなる。

とすると、今までは個人の判断なんかではなく、やはり強制的だったと言える文言になっている。

些か政府に、騙されている気もしないではない。

何はともあれ、名実共にマスク生活は終わりを迎える。

 

しかし、もう一つ、イマイチ納得いかないのが、今の政治の言ってることで、科学も言っていることである。

日本ではマスクは推奨されていたが、その効果は殆ど無かった、という説が根強くあることだ。

マスク着用率は世界でも一番のはずなのに、コロナ感染は止まなかった。世界でも感染率は高い方だった。

 

それもそのはず、マスクの繊維の隙間とウイルスの大きさとは全く合致しておらず、結局はマスク装着をしようがしまいが、ほぼ意味が無いに等しいとされている。

つまり、マスクとは、マスクの繊維が作り出す隙間を、ウイルスはいとも簡単に通り抜けられる構造となっているのだ。その為、マスクをする意味は、本当は無いらしいのだ。

 

今の御時世、何にせよ全ての事象において、科学的根拠やエビデンスとか喧しく問い詰めるのに、こんなにも大事なこと、すなわちマスクについての科学的根拠や実際の事実が、まるで蔑ろにされているのである。

大きな矛盾であるが、この矛盾は大き過ぎるもので、却ってこの矛盾点を指摘する人は少ない。人は、小さな嘘よりも大きな嘘の方が信じやすい、ということと同じ事象であろうか。

 

マスクを推奨する側には明らかに問題があるが、マスクを実際にする側の我々も、何も疑問に思うことなく、ただ上に言われるがままにマスクをみんなが同じくしているので、問題ではなかろうか。権力者や上の者の言うことなど、もう気にすることではない。

 

ここは関東地方だが、未だに外出している人の90%以上は確実に、まだマスクを装着している。

余り意味のないこと、3月13日を待たずして、やめよう。

多分、日本人は、この日を大きく過ぎても、大半はマスクをしているままだろう……。