ニルヴァーナ、人間牧場が建設されたとしたら | 新時代思考記

新時代思考記

令和の時代も考え続けます!

ニルヴァーナ「IN UTERO」(1993年)というアルバムを聴いた。粗い歪んだギター音と、カート・コバーンのシャウトが印象的である。激しいロック、これをグランジとか言うのか、ジャンル名なんてものはどうでもよくて、私は知らないけれども、こういうニルヴァーナのロックが昔から好きなのだ。

特に、カートコバーンの荒くれた歌声には、魂というものを強く感じる。

常に死と対峙している感じ。

 

 

悪い意味でのグレートリセットとか新世界秩序とか、そんなことは既に頓挫してしまった、と私は感じているけれども、それでも一瞬、そして一見、良さそうに見え、格好良く思えてしまうこれらの言葉や名称には、これからも尚、警戒し注意してゆきたい。

彼ら悪い奴らの力はだいぶ衰えたとはいえ、僅かながらも反撃される可能性は残っている。また何かの拍子に、力を盛大にぶり返すことも考えられる。

 

我々一般の人間を家畜として飼い馴らし、人間牧場の建設を目指すなんていう、何十年も前からの彼らディープステートの悪魔計画は、実際、本当にあったらしい。

 

もし、これが計画通りに実現されたとすると、我々は自由と権利の一切認められない家畜だから、もしかすると食肉用としてオートメーションで殺されるかもしれないし、臓器売買として身体の各部分を使用されるだけかもしれないし、人体実験として注射を打たれたり、訳の分からない危ない薬を飲まされたり、粗雑に乱暴に扱われることもあっただろう。

 

飽くまでも我々は誇り高き人間ではなく、血も涙もないエリート人間の快適な生活の為だけの、ただの家畜という物体として、広く社会の中で認識されることになる。

 

そして一生を狭い小屋の中だけで飼い馴らされ生存するように、国家として制度化までされたかも知れない。

しかも人種を選別され、制度化されれば、もし死んで生まれ変わったとしても、そこは自由な世界なんかではなく、またしても窮屈な小屋の中の家畜として過ごさねばならないという、未来永劫に渡る悲惨な運命となっていたかも知れない。

 

当たっているのではないかと思う。考えるだけで、恐ろしや。