清水義範、悪意剥き出し | 新時代思考記

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令和の時代も考え続けます!

清水義範「身もフタもない日本文学史」(2009年)という新書になる。余り面白くなかったからなのか、音楽をふんふん聴きながら読んだからなのか、恐らくどちらもだろうが、読んだ内容の印象がない。

一つ、微かに覚えているのは、文豪と言われる作家の中で、夏目漱石が一番人気が有り、一番読み易い理由が書いてあったことだ。それは、今の文学というのは夏目漱石の文体が用いられているから、ということらしい。

日本文学の中で、そのような取り決めというか、統率性なんてものはないと私は勝手ながら思っていた。

漱石の文体は、自身の英文学研究で培った論理性や表現力が用いられ、だからこそ日本文学の基礎になり、今においても、まるで現代小説に近い感覚で読め、しかも面白く分かり易かったのだった。

長年の謎が一つ解けた。

 

 

悪意というものが、今の時代、剥き出しのままのような気がする。

勿論、悪人の悪意、場合によっては善人による悪意。

 

彼らは我々に対して、手段を選ばなくなっている。

焦っているのだ。

 

どんどん世界は行き詰まり、硬直してゆく。ウクライナ情勢が如実に物語っている。

しかし時が来れば、詰まっていたような閉塞的感覚から、一気に我々の前の視界が広がるように開ける時が、やって来る。

それまでの間、どのように適当に上手にやり過ごすか、問題にするならばそれくらいではなかろうか。