ジェリーフィッシュ、気になる世論誘導 | 新時代思考記

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ジェリーフィッシュ「BELLYBUTTON」(1990年)という作品。演奏は上手いし、ボーカルも上手い。楽曲も綺麗に纏まっている気がする。でも目立った特徴がない気がした。そこが不満と言ったら不満かな。流れるように聴き、流れるように忘れてしまった。過去に人気を博したが、人気は今、あるのかどうか。よく分からないが、果たして。

 

 

これだ、という話題がないので適当にニュースや新聞読んで思ったことを少し書く。

最近はテレビはチラッとしか見ないし、新聞も気になった部分の少しだけしか読まない。

そんな中、人間は、見ない聞かないつもりでも、気になるものというのは、直感的にどうしても気になるものである。

 

SNSとか民主主義に関して。

陰謀論などの誤情報とされる情報が大量に流れることを危惧し、ネットの世界で制限しようとする動きがあるように思う。

そして、SNSなどのそういった情報を制限したりすることが、まるで「いいこと」のように思わせようとする魂胆が見える。

驚くべきことに、マスメディアは、その制限が「民主主義を守る」ことに繋がる、とまで言い出している。

 

こういうロジックは、マスメディアは得意中の得意である。

 

普通の善人というか、正常な感覚で生きている人にとっては、こういった悪意ある発想はなかなか出来ないものだ。

 

もともと民主主義はどんな情報でさえ、言論の自由などで守られ、自由に発言していいものとされてきた。

だから、事件性などの問題さえなければ、本来、何を言ってもいいはずである。

寧ろ、民主主義を壊すのは、(本当は正しい)陰謀論や、(本当は正しい)誤情報を制限することである。

正しいことを誤情報としたがるその意図とは、やはりその情報が真実だからではないのか。

 

池袋の自動車事故の事件などを契機に、被害者への誹謗中傷の情報を制限しようとする試みは、一見いいことのように思えるが、それをいいことに利用し、SNSの情報制限を広く「善」としようとしていると思った。

 

世の中の大きな流れの中のほんの一部になるが、何故か人は気になるものは気になる。

言論の自由がどうだとか、それも重要なことだけれども、誰にも分からないように、しれっと都合のいいよう世論を誘導しようとする、悪意あるマスメディアの魂胆が一番嫌いなのだ。

SNSで情報制限するとなると、彼らマスメディアなどあちら側の活動範囲は、ますます狭まるだけであることには気付いているだろうか。

 

話題がないから一応書き始めたが、書きながら頭の中を整理することが出来た。