ドゥービー・ブラザーズ、前を向いて歩こう | 新時代思考記

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令和の時代も考え続けます!

ドゥービー・ブラザーズ「MINUTE BY MINUTE」(1978年)という作品。今まで余り聴いて来なかった作品である。他の関係ないことに集中しながらこのアルバムを掛けていたら、気が付いてみるといつの間にか知らず知らずに終わっていた。アルバムの長さがたったの37分しかないから、という気もしたが、多分そうではなく、目立って特徴のないロック・アルバムだったからなのか、という気もした。しかし、このジャケット写真はロック関連本などでよく見掛ける。音楽専門家の間では、名盤の一つに数えられることも多いかも知れないので、もしかすると今の言葉は問題発言だったかもしれない。

 

 

我々は箱庭みたいなところで飼われているのだから、そのことに気付き、何とかして脱出する方法を考えなくてはならない。

 

箱庭以外(外の世界)には、無限の空間と可能性が存在している。その世界は、現代科学や現代医学では証明の出来ないことだらけ、のような気がする。そして人間にとって良いことばかりとは言えないのだが、良いこと幸せなことが非常に多い。そして何より、身体的にも精神的にも自由な世界が広がっている気がしている。

 

その気付きや箱庭からの脱出方法を、私はいつも考えている。

活字の言葉によるもの、精神的苦労によるもの、などなど……、真実に気付く切っ掛けを、いろいろと考えているのだが、基本になるものは、やはり言葉によるものになるのではないか。

 

全ての気付きは、感情の部分で自らが強く疑問に思うことから始まる気がする。

感情とは言葉だ。だから気付きとは、言葉によるものだろう、と私は思うのである。

 

言葉に何か、気になったり心に残ったり引っ掛かるものがしっかりとあれば、しめたものだ。

しかし、本当に深い洗脳に掛かっている人の感情には、そういう引っ掛かりのようなものが、全くないような気がする。

そういう人は、もうダメなのだろうか。結局、非情にも見放すことしか出来ないのだろうか。それでも何かの方法によって、そういう人にさえ微かな望みはあるのだろうか。

そんなことを日々、暇な時にだが考えたりしている。

 

コロナ禍のこの期間には、世界や日本のみんなもそうなのかもしれないが、いろんなことを考えた。

依然終息していないし、洗脳に関しても全然解決などしていない。これからなのだ。……というよりも、コロナ禍という問題・騒動は、多くの人がコロナの「真実」とコロナの「嘘」についてしっかりと気付かないと、いつまで経っても終わらないし解決もしない。

だから、早く気付いて欲しい。

 

しかし私には結末や終着点が、朧げだが見えかけてきた気もしている。多分、こんな風に終わってゆくのではないか……? などと妄想・想像を膨らませている。

大変な世の中になってしまったが、気持ちだけでも前を向き、波動を下げずに明るく行きたいものだ。

う~ん、問題のピークは恐らく、来年の1月~2月末頃になるのかなぁ?