夢枕獏、観念を捨て外に出よう | 新時代思考記

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夢枕獏「鮎師」(1989年)という文庫本の小説を読了した。鮎釣りのお話であった。川のどこかに潜む、巨大な鮎を釣ることに挑戦した男たちの物語である。釣りについては私は詳しく知らないので、夢枕獏氏のように釣りが趣味である人よりも、全然知識や経験が及ばない。そういう点において、話の中で分からない箇所が有り、ちょっと詰まらない気も所々にしたものだが、文章自体の意味は分かり易く、私にぴったりと合う気がした。格闘モノの小説が、物凄く面白いと聞いている。夢枕獏氏は今、御年70歳。今後も、機会あれば夢枕獏の本は買うし、是非とも積極的に読んでゆきたいと思った。全334ページ。

 

 

現代人は精神的意味で、実に、小さくて狭苦しいところで人生を生きている。

頭の中の固定観念の世界で生きている。上からの洗脳による思い込みだけの世界で生きている。

要は、それらを勇気を持って捨てることなのだ。

 

しかし、そうすればいいだけのはずなのだが、何故か固定観念や思い込みという、狭苦しい世界を生きている人が今やたらに多い。

 

まるで、それは「箱庭」の中で「飼われている」という感じがする。いや、感じ、のような曖昧なものではなく、紛れもない事実である。

この「飼われている」とは勿論のこと、コントロールされている、支配されている、ということである。

 

「井の中の蛙、大海を知らず」という諺も昔から伝わる通りである。

その井の中、箱の中から出た外の世界というのは、大海のように広くていわば無限の空間、無限の可能性へと繋がっている。

 

一度、その広い無限の空間に出てしまえば、その人間はもう元に戻ることはないだろう。広い世界を知ると、窮屈で狭苦しい世界に、再び自ら戻ろうとは絶対に思えなくなるのである。

しかし、思い切って行動する決心が付かないのか、臆病でその気にすらなれないのか、いずれにせよ、外の世界に出ることに果敢に挑戦する人が、とても少ないという実情がある。

 

外の世界から様々なことを眺めた方が、まず中に居ることよりも面白い。それは確実だろうし、また、井の中や箱の中のことを俯瞰してみることも出来、いろいろな事柄についての深いことまでもが分かることは多い。

 

固定観念は自由な思考も阻害するのだった。

固定観念が無くなれば、びっくりしてしまうほどの鋭い感覚が蘇るのである。

 

えいやぁ! と勢いでやってみるだけのことなのだが、人間の深層心理として、危険やリスクよりも安定や安寧を求める傾向がどうしても強くある為、何かの強い切っ掛けのようなことがないと、自ら進んでその気にはなれないものだ。

 

だから大抵の場合、外の世界に完全に出てしまった勇気のある人間(固定観念を捨て切った人間)というのは、途轍もない苦労を経験したり、絶体絶命のピンチのようなことを経験した数少ない人間である。彼らは、面白い人間なのだ。

 

そういう人を私は、心から尊敬し崇めたい。