なぜ私がウェディングドレスデザイナーになれたのか? その15 | 東京・池上、オーダーウェディングドレス、1000通りのドレス制作ドレスさらHisako

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ジュン・アシダで実践で学び腕を磨いた、ドレス創り50年のウェディングドレスデザイナー粕谷尚子です。花嫁さんの夢を叶えるドレス創りが私の生き甲斐です。

オーダーウェディングドレス ドレスさら
〒146-0082 東京都大田区池上 03-3755ー6822

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こんにちは。



ウェディングドレスデザイナーの粕谷尚子です。



なぜ私がウェディングドレスデザイナーになれたのか?



<その15>をお伝えしますね。



ブラック企業から、穏やかな企業に移ることができて、



とても居心地がいいかと思われたのは、



ほんの少しの間だけでした。



社員はみなさん温かい人でしたが、



オーナーの姿勢が腑に落ちませんでした。



社員をお客さんにしてしまうんです。



お給料はブラック企業のほぼ半分になりましたが、



それでも居心地がいい方がずっといいと思っていました。



けれどもお店のイベントがあるたびに、



あれを買いなさい、これを買いなさいと、



宝石展や毛皮展、呉服展など高価な商品を



買わないではいられないような締め付けがあるんです。



協力はしましたが、心の中では



「違うんじゃない?」といつも思っていました。



せめて仕事で充実感が感じられればいいのですが



それもありません。



社員の甘さはやはり



仕事の中身の甘さにもなるようで、



いつもやり切っていないと言う



不満足感を味わっていました。



生地屋さんのカウンターデザイナーと言うのは、



物創りと言うより、販売員とあまり変わらない



からかもしれないと思うようになりました。



私が本当にやりたいのはやはりドレス創りです。



取り次ぎのようにデザインをするのではなく、



実際の洋服になるデザインから型紙創りまでしたいんです。



そんな思いがふつふつと湧いてきてしまいました。



そこでリクルートと言う求人雑誌を見て、



アパレルメーカーに転職をすることにしました。



原宿にあるアパレルの会社に、



企画デザイナーで入社することが決まりました。



47歳ぐらいだったと思います。



入社試験は面接だけでしたが、あっさり入社が決まりました。



伊東衣服研究所を卒業し、細野久先生に学びました



と言うことは、天下の宝刀でした。



嬉々として勤務しましたが残念ながら、



そこにも難関が待ち構えていたんです。



こうしてなかなか自分の居場所が決まらずに、



1年半ぐらいずつで転々としなければならなかったんです。



次の回では企画デザイナーになってからのお話しを



聴いてくださいね。





それではまた。





素敵な一日をお過ごしください。




ウェディングドレスデザイナー

粕谷尚子





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