休みます。
2日間、夜勤だったこともあり 書きながら 穏やかなれたのもあり 眠気が来たので寝ます。

見てくださった方、ありがとうございます。

振り返ってばかりいて何になる?
だだの自分がかわいいただの自己中じゃない?
などなど、不平不満もあるかと思いますが、自分自身、思いだしたり書いたりして、この先 何か変われるかもしれない、変わらないのかもしれないけど。気持ちやなにかに変化があれば…と思うので...
すみません、だらだらと...


近頃、朝晩 急に寒くなってるので、風邪など体調管理にお気を付けください。

では、おやすみなさい。
 
 
 
こうして書いていると、歌詞を書いてる時もそうでしたが、懐かしくもあり、何か少し気持ちや心?のモヤモヤなんかがとれてく感じで、穏やかな気分になれてます。



だから何言いたいの?何なんだ?って思われるでしょうけど、続けて書きます。


そんな中、親父の仕事がおもうようにいかなかったらしく、愚痴を家に持ち込むようになりました。
元々、晩酌はしてたんですが飲むと荒れて家族に当たるようになりました。
止めに入るのは母しかできず、次第に母に手を挙げるようになり、自分はそれがもの凄く嫌で、殴られるのを覚悟で止めに入り、自分が殴られては止み…を繰り返して、それを見兼ねた母が離婚を切り出すようになり、夫婦中(家中)は最悪でした。
気が付くと、それを見守る自分がいて、あまりにも喧嘩の酷い時があり、たまらず『いい加減にしてよ!もう喧嘩はやめて!』と泣きながら言ったこともありました。

それがきっかけだった かはわからないけど、次第に両親の喧嘩は少なくなりましたが、家族で居ても無言の状態が続きました。

親父も気まずくなったのか、家のすぐ近くに離れを借り、自分と弟は食事と風呂以外をそこで暮らしてました。
妹は親父がとても可愛がっていたので両親と一緒。

その頃、自分は小4から小5になるころで、なんとか両親が離婚することなく過ごせるようにはなりました。

そんな小学時代を過ごし、卒業間際にクラスへ転校生(男)が来ました。 ビックリするほどガタイがよく 凄み?を感じさせてる人で、後から聞いたのですが 番長だったらしくその風格が出てました。
彼はよく喧嘩を売られては勝ち、学年中 一目おくように。

ある日、自分がいつものように妹を保育所へ迎えに行き、そこで自分と同じように 弟を迎えに来てる番長がいました。

あ、同じかな?なんて思って見てたら 番長と目が合い寄って来ました。

その時の表情はいつもの顔とは違い 何か救い?を求めるような感じがました。(勘違いだったかもしれませんが。)

お前もか!やっぱり…なんて笑って互いのことを少し話して 互いに俺も俺もと共感してました。

ただ、ことのことはクラスには内緒でいてくれと頼まれ、自分は別にクラスに言い触らすこともないし 言わない大丈夫!と...。
安心してたようでした。

その時以来、番長とは友達とまではいかないまでも、何か互いに親しみがある感じで残りの小学時代を過ごしました。
 
 
 
なにもしたくなくなる

今(10/3)、夜勤の休憩中

『明日晴れるかな』を
聴きながら打ってます。
残りは帰宅してから打ち直します


☆最近、アクセス数が増え 見てくださる方がいると思うと、嬉しいです。
感謝しています。

それに、多少の誤解もあるようなので...

このあと、生い立ち?
今までの生き方?
なんかを書いてみようと思います。

マイナス的なことばかりのブログなので、嫌気がさす かと思います。
少し詳しく書くので、だらだらと長文にもなります。
あ...無理wと思われたらスルー?してください。




自分は3人兄弟の長男で、1つ下の弟と6つ下の妹がいます。
生まれは京都で、小学生に上がる前に親父の都合で母の地元(県外)に引っ越し、妹とは出生が違います。
小さい頃から気性の荒い弟と、意見や考え方の違いでぶつかることが多く、殴り合いの喧嘩をしては両親に怒鳴られていました。

当時、両親は共働きで親父は大工、母は看護助手でした。

妹が生まれ(夜中の台風上陸の最中、自分達が小さかったのもあり産婦人科で宿泊)、生まれて3ヶ月過ぎには保育所に預けられ、両親が留守の時のほとんどは自分が面倒を見ていました。
弟は友達と遊ぶのに夢中で、世話の事を言うとすぐ喧嘩になって、話になりません。

自分が保育所(年長さん3人(男2女1))で過ごしたのが半年くらいだったので、小学生での友達は2、3人はいましたが、話す程度の付き合いしかできず、妹や妹の遊び友達の面倒を見るのと、自分の宿題を済ますのがやっとの状態でした。

子供心に見知らぬ土地では他の子と打ち解けることもできず、孤立(殻に閉じ込もって)してしまい、妹の世話をすることしか頭になかったんです。

世話することに不満はなく、楽しくもあり満足してました。

もちろん、友達ができない理由を両親や誰かのせいにすることはなく、自身の弱さや打ち解けることへの勇気の無さが原因で悩んだこともあるからです。

ここでも、楽な方へ進む自分がいたなと気づかされます。

時にこんなこともありました。
妹と妹の友達とで遠出をし、帰りが遅くなり謝りに友達を家まで送ったのですが、『何やってるの!何かあったらあんた責任取れるの?』って叱られ、責任というものを知りました。


小4の頃には妹も手がかからなくなり、自分も要領を覚え、少しの家事や炊事洗濯の手伝いもできるようにもなりました。