アジアの「ウミガメ」 by 加藤さん
束の間のGWは子どもの世話で終了。また、慌ただしい日々が始まった。
サンブリッジ グローバルベンチャーズに加えて、企画準備会社とはいうものの「農業革新ラボ」を立ち上げ、法政大学MBAの今年度も始まり、第二子は、まだ3ヶ月で手が掛かる。とにかく時間はない。
そんな中、毎週日曜日、長男を連れてくるヒップホップの教室は、テンポの良い曲がかかり、気分を高揚させてくれる。
ところで、そのヒップホップ教室でテンポの良い音楽を聞きながら、ネット業界の方なら誰でも知っている「日広(現GMO NIKKO)」創業者の加藤さんのエッセイ?を読んだ。
彼が、現KLabの真田さんやGMOインターネットの西山さん達と学生ベンチャーを立ち上げ急成長していったプロセスや、その後、ビジネスのルールが変わったことで敢なく破綻したこと、また、加藤さんが日広という雑誌広告の代理店を創業し、後にインターネット専門の広告代理店にシフトし、また、急成長していった時期のこと(僕はこの時期に彼と知り合った)など、彼の今までの起業家人生がリアリティを伴って綴られており、読んでいる僕自身が疑似体験をするような感じで、気持ちが揺さぶられた。
やはり、何かに挑戦し、困難を克服し、前進していく人や生き方が僕は好きだ。
今年中に、彼を訪ねてシンガポールに行って来よう。
ところで、彼の言う「ウミガメ」の話は、僕の古い友人でもあり、シリコンバレーで2社目となる「miselu」というソーシャル楽器なるビジネスモデルにチャレンジ中の吉川さんも、異口同音に言っていたことだ。
1995年。まだ、インターネットが世に出たばかりの頃、彼がデジタルマジック・ラボ(DML)というウェブ制作ベンチャーを立ち上げた頃、硬直した日本の社会構造に辟易としながら、一回、日本を出て、政府から戻ってきて欲しいと懇願されたら戻って来よう!という話をしていたことを思い出す。
あれから17年。僕は、まだ、こうして日本に留まっているが、彼は、有限実行している・・・。
ところで、僕たちの長男は、3歳になる直前、自分から言い出してバイオリンを習いだした。でも、殆ど練習はしない。
それに較べて、最近は家の中でもクルマの中でも、僕の iPhone でダンスミュージックを聞きながら、片言の英語を口ずさり、ヒップホップの練習に興じている。
やってみて、これは違う・・・と思ったら、軌道修正すればいい。
「石の上にも三年」とは言うが、「Rolling stones gather no moss.(転がる石にコケもさず)」とも言う。
物事には必ず、2面性がある。
これなら高いモチベーションを保って挑戦し続けられる!というものを見つけることが大切だ。
そして、見つけたら「地道な努力」と「献身」が必要である。
facebook に書いたとおり、プロゴルファーの深堀圭一郎選手は「アイアンのロフトを0.5度寝かして、0.3度アップライトに」するなど、地道且つ緻密な努力を続けている。
そして、ほんの0.3 や 0.5 度の違いを活かせる「技術」を持っているということである。
その次元に至っても尚、努力を続けている。
自分自身を含めて、文句を言う前に、努力をしないとね!
@ヒップホップ教室
追伸:ヒップホップ教室に来ている小中学生たちは、みんな、楽しくて仕方ない!というオーラを全身から放っている。彼女(女子が殆ど)達の中から、プロとして活躍する人が出てくることを期待したい!!
サンブリッジ グローバルベンチャーズに加えて、企画準備会社とはいうものの「農業革新ラボ」を立ち上げ、法政大学MBAの今年度も始まり、第二子は、まだ3ヶ月で手が掛かる。とにかく時間はない。
そんな中、毎週日曜日、長男を連れてくるヒップホップの教室は、テンポの良い曲がかかり、気分を高揚させてくれる。
ところで、そのヒップホップ教室でテンポの良い音楽を聞きながら、ネット業界の方なら誰でも知っている「日広(現GMO NIKKO)」創業者の加藤さんのエッセイ?を読んだ。
彼が、現KLabの真田さんやGMOインターネットの西山さん達と学生ベンチャーを立ち上げ急成長していったプロセスや、その後、ビジネスのルールが変わったことで敢なく破綻したこと、また、加藤さんが日広という雑誌広告の代理店を創業し、後にインターネット専門の広告代理店にシフトし、また、急成長していった時期のこと(僕はこの時期に彼と知り合った)など、彼の今までの起業家人生がリアリティを伴って綴られており、読んでいる僕自身が疑似体験をするような感じで、気持ちが揺さぶられた。
やはり、何かに挑戦し、困難を克服し、前進していく人や生き方が僕は好きだ。
今年中に、彼を訪ねてシンガポールに行って来よう。
ところで、彼の言う「ウミガメ」の話は、僕の古い友人でもあり、シリコンバレーで2社目となる「miselu」というソーシャル楽器なるビジネスモデルにチャレンジ中の吉川さんも、異口同音に言っていたことだ。
1995年。まだ、インターネットが世に出たばかりの頃、彼がデジタルマジック・ラボ(DML)というウェブ制作ベンチャーを立ち上げた頃、硬直した日本の社会構造に辟易としながら、一回、日本を出て、政府から戻ってきて欲しいと懇願されたら戻って来よう!という話をしていたことを思い出す。
あれから17年。僕は、まだ、こうして日本に留まっているが、彼は、有限実行している・・・。
ところで、僕たちの長男は、3歳になる直前、自分から言い出してバイオリンを習いだした。でも、殆ど練習はしない。
それに較べて、最近は家の中でもクルマの中でも、僕の iPhone でダンスミュージックを聞きながら、片言の英語を口ずさり、ヒップホップの練習に興じている。
やってみて、これは違う・・・と思ったら、軌道修正すればいい。
「石の上にも三年」とは言うが、「Rolling stones gather no moss.(転がる石にコケもさず)」とも言う。
物事には必ず、2面性がある。
これなら高いモチベーションを保って挑戦し続けられる!というものを見つけることが大切だ。
そして、見つけたら「地道な努力」と「献身」が必要である。
facebook に書いたとおり、プロゴルファーの深堀圭一郎選手は「アイアンのロフトを0.5度寝かして、0.3度アップライトに」するなど、地道且つ緻密な努力を続けている。
そして、ほんの0.3 や 0.5 度の違いを活かせる「技術」を持っているということである。
その次元に至っても尚、努力を続けている。
自分自身を含めて、文句を言う前に、努力をしないとね!
@ヒップホップ教室
追伸:ヒップホップ教室に来ている小中学生たちは、みんな、楽しくて仕方ない!というオーラを全身から放っている。彼女(女子が殆ど)達の中から、プロとして活躍する人が出てくることを期待したい!!
「鮫洲」と「3.11」後のゴールデンウィーク。
先週の木曜日。運転免許証の更新で、3年ぶりに「鮫洲」まで出掛けた。
ここ最近はクルマで行っていたが、今回は仕事の都合上、電車に乗り「鮫洲駅」で降りた。
初めて鮫洲駅で降り立ったのは大学生の頃なので30年も前になるが、あの時と同じように、免許証の書き換えに使用する「書類の記載代行」業を営むお店がある。
もう少し正確に描写すると、30年前は、鮫洲の駅前から運転試験場に続く道沿いに「これでもか!」と「同業者」が軒を連ねていたが、今でも営業しているのは、駅のすぐ近くの店を含めて、数軒になっていた。
でも、さすがに客はいない。そこには、ボーッと店番をしている中年男性の姿があった。
ドラッカーは「イノベーションとは、組織的、体系的に『変化』を探すことである」と、ダーウィンは「強いものが生き残るのではなく、『変化する者』が生き残る」と言っている。
「鮫洲の駅前商店街」を通り過ぎながら、そんなことを考えた。
ところで、昨日から日本はゴールデンウィーク(GW)。
昨年のGWは「3.11」の現実をこの目で確認したいと思い、周囲の反対を押し切り、福島県の「相馬港」に行ったことを思い出した。
あれから一年。もっと前のことのように感じる。
GWということでは、海外旅行に出掛けた人も多いと思うが、日経ヴェリタスの編集長メールによると、2011年に海外旅行へ出かけた人は「1,699万人」。今年は、円高という追い風もあり、昨年を上回るのでは?と予想されている。
一方、日本を訪れる外国人は、震災・原発に円高の影響もあり、昨年は3割少ない「約620万人」。完全に「輸出超過」である!
因みに、フランスを訪れる観光客は「毎年7,600万人(人口:6500万人)」。スペインは「5,300万人(人口:4,600万人)」とのこと。
仮に毎年、1億2,000万人の観光客が日本を訪れて、一人平均10万円を落としてくれたら、観光収入「12兆円」である!
どんな「変化」を利用すれば、それが実現できるだろうか?
@子供のダンス教室
ここ最近はクルマで行っていたが、今回は仕事の都合上、電車に乗り「鮫洲駅」で降りた。
初めて鮫洲駅で降り立ったのは大学生の頃なので30年も前になるが、あの時と同じように、免許証の書き換えに使用する「書類の記載代行」業を営むお店がある。
もう少し正確に描写すると、30年前は、鮫洲の駅前から運転試験場に続く道沿いに「これでもか!」と「同業者」が軒を連ねていたが、今でも営業しているのは、駅のすぐ近くの店を含めて、数軒になっていた。
でも、さすがに客はいない。そこには、ボーッと店番をしている中年男性の姿があった。
ドラッカーは「イノベーションとは、組織的、体系的に『変化』を探すことである」と、ダーウィンは「強いものが生き残るのではなく、『変化する者』が生き残る」と言っている。
「鮫洲の駅前商店街」を通り過ぎながら、そんなことを考えた。
ところで、昨日から日本はゴールデンウィーク(GW)。
昨年のGWは「3.11」の現実をこの目で確認したいと思い、周囲の反対を押し切り、福島県の「相馬港」に行ったことを思い出した。
あれから一年。もっと前のことのように感じる。
GWということでは、海外旅行に出掛けた人も多いと思うが、日経ヴェリタスの編集長メールによると、2011年に海外旅行へ出かけた人は「1,699万人」。今年は、円高という追い風もあり、昨年を上回るのでは?と予想されている。
一方、日本を訪れる外国人は、震災・原発に円高の影響もあり、昨年は3割少ない「約620万人」。完全に「輸出超過」である!
因みに、フランスを訪れる観光客は「毎年7,600万人(人口:6500万人)」。スペインは「5,300万人(人口:4,600万人)」とのこと。
仮に毎年、1億2,000万人の観光客が日本を訪れて、一人平均10万円を落としてくれたら、観光収入「12兆円」である!
どんな「変化」を利用すれば、それが実現できるだろうか?
@子供のダンス教室
「ベンチャーナウ」と「Innovation Weekend」!!
先週の金曜日(4/13)。2012年シーズン最初の「Innovation Weekend」を開催した。
ゲストには、ライフネット生命保険の出口さん、アイスタイルの吉松さん。
お二人(両社)とも今年3月、東証マザーズに上場。多忙な時期にも関わらず、スケジュールの合間を縫ってご登壇いただいた。心からお礼を申し上げたい。
ところで、「Innovation Weekend」は、ベンチャーナウの竹内さんと一緒に2111年5月20日(金)、ネットエイジを再スタートされた西川さんにもご協力いただき立ち上げたものだ。
約10年ぶりに盛り上がりを見せ始めた日本のベンチャーシーンを加速させるべく、まだ世に出ていない起業家とエンジェル投資家とのネットワーキングを行うことが目的である。
昨年は通常版をほぼ毎月開催してきたが、今シーズンは四半期に1回のペースにし、その代わり、内容の充実に心を砕いてきた。
先週金曜日の「Innovation Weekend 2012 Spring」では、クラウドコンピューティングの「Global Leading Player 3社(Microsoft Azure/amazon web services/salesforce.com」によるプレゼンテーションという、他では見れないだろう!という試みにチャレンジした。
我々の趣旨に賛同いただき、一般的にはあり得ない企画にご協力いただいた3社の皆様のお陰である。改めてお礼を申し上げたい。
そして、今年は「Innovation Weekend」自体を「世界にデビュー」させようと思っている。
具体的には、10月 or 11月に「パリ」で開催する予定である!
「Innovation Weekend」を「国際ブランド」として昇華させるべく、Go Global!
まずは、言っている自分たちが実践しないとね!!!
ゲストには、ライフネット生命保険の出口さん、アイスタイルの吉松さん。
お二人(両社)とも今年3月、東証マザーズに上場。多忙な時期にも関わらず、スケジュールの合間を縫ってご登壇いただいた。心からお礼を申し上げたい。
ところで、「Innovation Weekend」は、ベンチャーナウの竹内さんと一緒に2111年5月20日(金)、ネットエイジを再スタートされた西川さんにもご協力いただき立ち上げたものだ。
約10年ぶりに盛り上がりを見せ始めた日本のベンチャーシーンを加速させるべく、まだ世に出ていない起業家とエンジェル投資家とのネットワーキングを行うことが目的である。
昨年は通常版をほぼ毎月開催してきたが、今シーズンは四半期に1回のペースにし、その代わり、内容の充実に心を砕いてきた。
先週金曜日の「Innovation Weekend 2012 Spring」では、クラウドコンピューティングの「Global Leading Player 3社(Microsoft Azure/amazon web services/salesforce.com」によるプレゼンテーションという、他では見れないだろう!という試みにチャレンジした。
我々の趣旨に賛同いただき、一般的にはあり得ない企画にご協力いただいた3社の皆様のお陰である。改めてお礼を申し上げたい。
そして、今年は「Innovation Weekend」自体を「世界にデビュー」させようと思っている。
具体的には、10月 or 11月に「パリ」で開催する予定である!
「Innovation Weekend」を「国際ブランド」として昇華させるべく、Go Global!
まずは、言っている自分たちが実践しないとね!!!
「父の命日」と「田坂広志さんの言葉」。
今日は父の命日。享年55歳。僕が24歳になってすぐだった。
あれから25年。父と過ごした時間よりも、亡くなってからの方が長くなった。
父が亡くなって四半世紀が過ぎた今日、僕たち三人兄弟でメールのやり取りをした。
僕たちはそれぞれに父の教え(言葉)を憶えているが、両親の記憶さえ持てずにこれからの人生を歩まなければいけない3.11震災孤児の方々がたくさんいる。
こうして生きていることを当たり前だと思ってはいけない。
ところで、僕が尊敬する田坂広志さんのメルマガに、こんなことが紹介されている。
田坂さんがどこかで講演された際に一緒だっ起業家の方が、「みんな、もっとハングリーにならなければダメだ!」というようなことを言っていたという。
それを聞いた田坂さんは、こう思ったそうだ。
「世界第二位(当時)の経済大国になり、60年を超えて戦争がなく平和な日本において、それでも尚、ハングリー精神を持たなければモチベーションを持てないのだろうか?」
僕は20代の頃、大企業に務める同年代の人達が「会社の看板」ですぐにアポが取れ、給料も高い現実を実感し、彼らや社会自体に対して「今に見ていろよ!」と思って頑張ってきたが、それなりの結果を残してきた今は、ゼロと言えば嘘になるが、そういうハングリー精神は殆ど無くなった。
アメブロにも何度も書いているように、法政大学経営大学院の小川教授に拾ってもらい、サンブリッジ創業者のアレン・マイナーに声をかけてもらい、私生活では第二子にも恵まれ、ふたり目の母とは兄弟三人とても仲良くしており、その母は妻の出産後、慣れない東京に一ヶ月も滞在してくれて・・・と、感謝はすれど、ハングリーになりようがない。
感謝の心を忘れずに、人の役に立つ生き方をしたいと思う。
あれから25年。父と過ごした時間よりも、亡くなってからの方が長くなった。
父が亡くなって四半世紀が過ぎた今日、僕たち三人兄弟でメールのやり取りをした。
僕たちはそれぞれに父の教え(言葉)を憶えているが、両親の記憶さえ持てずにこれからの人生を歩まなければいけない3.11震災孤児の方々がたくさんいる。
こうして生きていることを当たり前だと思ってはいけない。
ところで、僕が尊敬する田坂広志さんのメルマガに、こんなことが紹介されている。
田坂さんがどこかで講演された際に一緒だっ起業家の方が、「みんな、もっとハングリーにならなければダメだ!」というようなことを言っていたという。
それを聞いた田坂さんは、こう思ったそうだ。
「世界第二位(当時)の経済大国になり、60年を超えて戦争がなく平和な日本において、それでも尚、ハングリー精神を持たなければモチベーションを持てないのだろうか?」
僕は20代の頃、大企業に務める同年代の人達が「会社の看板」ですぐにアポが取れ、給料も高い現実を実感し、彼らや社会自体に対して「今に見ていろよ!」と思って頑張ってきたが、それなりの結果を残してきた今は、ゼロと言えば嘘になるが、そういうハングリー精神は殆ど無くなった。
アメブロにも何度も書いているように、法政大学経営大学院の小川教授に拾ってもらい、サンブリッジ創業者のアレン・マイナーに声をかけてもらい、私生活では第二子にも恵まれ、ふたり目の母とは兄弟三人とても仲良くしており、その母は妻の出産後、慣れない東京に一ヶ月も滞在してくれて・・・と、感謝はすれど、ハングリーになりようがない。
感謝の心を忘れずに、人の役に立つ生き方をしたいと思う。
「バイオリンの発表会」と「ドラッカー」の教え。
今日は上の子が3歳の時から習い始めたバイオリンとピアノの発表会があった。
横浜ベイクォーターで聴いたジャズのバイオリンに興味を持ち、それから3カ月、習いたいと言い続けていた。
続けられるのか?と思い、聞き流していた妻も根負けし、3歳になった冬から、近所の先生のところに通うことにした。
レッスンに通う以外は殆ど練習をしないので上達はしないが、自分から言い出しただけあってか、3年以上、続いている。
バイオリンはともかく、音楽は大好きで、家にいる時は、何をしている時も大きな声で歌をうたっている。
僕に似たのか、飲み込みは早いが基本をきちんと勉強しようとせず、感性に任せて自己流でやろうとする傾向がある。
しかし、何かを極めようとするなら、基礎が疎かでは覚束ない。
30代半ばで英語を学び直し、40歳を過ぎてからゴルフのレッスンに通うようになったが、効果は的面に表れている。
そして、何事も継続は力なりである。
そういえば、ドラッカーはこう言っている。
「成果をあげる者は時間と戦わない。ゆっくり進む」。
こうも言っている。
「(成果をあげる者は)一度にひとつのことしかしない」。
イノベーションには、コミットメントが必要不可欠ということだ。
色々と浮気しては、成果は期待できない。思い切って「捨てる」ことが必要だ。
「人生は短い」。
しかし、何かを成し遂げるには「時間」が必要である。
そして、時間は「保存できず」、「若さ」という「賞味期限」がある。
ドラッカーは、こうも問う。
人生を終える時、何と「記憶」されたいか?
50歳になってもこの問に答えられなければ、時間を無駄に過ごしたことになる。
さて、50歳まで、あと一年、悔いの無いように頑張ろう!
追伸:小さいながらも満員のホールで、我が子の演奏に固唾を呑む「真剣な聴衆」。人に何かを教えるというのは、素晴らしい職業だと思った。
僕は「起業とは何か?イノベーションとは何か?」「それらには何が必要か?」を自ら実践し、それを若い人達に伝えていこう。
iPhoneからの投稿
横浜ベイクォーターで聴いたジャズのバイオリンに興味を持ち、それから3カ月、習いたいと言い続けていた。
続けられるのか?と思い、聞き流していた妻も根負けし、3歳になった冬から、近所の先生のところに通うことにした。
レッスンに通う以外は殆ど練習をしないので上達はしないが、自分から言い出しただけあってか、3年以上、続いている。
バイオリンはともかく、音楽は大好きで、家にいる時は、何をしている時も大きな声で歌をうたっている。
僕に似たのか、飲み込みは早いが基本をきちんと勉強しようとせず、感性に任せて自己流でやろうとする傾向がある。
しかし、何かを極めようとするなら、基礎が疎かでは覚束ない。
30代半ばで英語を学び直し、40歳を過ぎてからゴルフのレッスンに通うようになったが、効果は的面に表れている。
そして、何事も継続は力なりである。
そういえば、ドラッカーはこう言っている。
「成果をあげる者は時間と戦わない。ゆっくり進む」。
こうも言っている。
「(成果をあげる者は)一度にひとつのことしかしない」。
イノベーションには、コミットメントが必要不可欠ということだ。
色々と浮気しては、成果は期待できない。思い切って「捨てる」ことが必要だ。
「人生は短い」。
しかし、何かを成し遂げるには「時間」が必要である。
そして、時間は「保存できず」、「若さ」という「賞味期限」がある。
ドラッカーは、こうも問う。
人生を終える時、何と「記憶」されたいか?
50歳になってもこの問に答えられなければ、時間を無駄に過ごしたことになる。
さて、50歳まで、あと一年、悔いの無いように頑張ろう!
追伸:小さいながらも満員のホールで、我が子の演奏に固唾を呑む「真剣な聴衆」。人に何かを教えるというのは、素晴らしい職業だと思った。
僕は「起業とは何か?イノベーションとは何か?」「それらには何が必要か?」を自ら実践し、それを若い人達に伝えていこう。
iPhoneからの投稿
「8社目の創業」と「40代ラストラン!」。
今日は僕にとって「49歳」の誕生日。と同時に「8社目」の「誕生日(創業記念日)」でもある。
因みに、亡くなった父は「末広がり」の「八(8)」が大好きだった。
実は、結婚式さえ「仏滅」に行った僕は、大安にはさして興味はないが、司法書士の方が直近の「大安」は「3/30」ということで、僕にとって「8社目の創業」となるサンブリッジ グローバルベンチャーズ(SBGV)100%出資の新会社の登記を、僕の誕生日(3/30)にしてくれた。
この新会社で何をするかは、近日中にプレスリリースを出すので、乞うご期待!
ところで、最近はとにかく忙しく、この4月から小学生になる長男が「お父さん、僕は最近、ひとりでご飯(夕飯)を食べて、ひとりでお風呂に入って、ひとりで寝てばっかりだよ・・・。一週間(平日)に一日でいいから一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝てよ!一日でいいんだよ!!」と懇願してきたこともあり、誕生日の今日は、19時に帰宅し、彼にとっては少し遅めの夕食を家族3人で食べた。
先月生まれた次男が夕方はグズるらしく、妻が彼をあやすのに精一杯で、長男は何でもひとりですることになり、大人の事情を理解している彼も、我慢の限界に達していたようだ。
「一緒に何々してよ!」などと言ってもらえるのは、自分自身の経験からも、せいぜい中学に入るまで。あと6年である!
その貴重な時間を極力、彼と一緒に過ごせるようにしたいと思っている。
ハーバードビジネススクールでの授業で、そのことを教えているらしいが、どんなCEOに訊いても、亡くなる前に、もっと仕事をしておけば良かったという人はいないらしい。
みんな「もっと家族と一緒に過ごすべきだった」と思うという。
話は変わるが、インタースコープを立ち上げた時(37歳。3度目の年男の翌年)、30代の最後の3年間を充実した時間にしたいと思ったことを思い出す。
あれから「一回り(干支)」。今度は、4度目の年男の翌年・・・。
「神様」と「周囲の皆さん」と「家族」に心から感謝をし、「40代ラストラン!」を悔いの無い時間にしたい。
「人生は短い」。「人生はすべて必然」。「人生には『勇気』と『自信』が必要だ」。
40代ラストランの心境で少々リライトし、近日中にSBGVのサイトにも代表者挨拶を掲載します!!
因みに、亡くなった父は「末広がり」の「八(8)」が大好きだった。
実は、結婚式さえ「仏滅」に行った僕は、大安にはさして興味はないが、司法書士の方が直近の「大安」は「3/30」ということで、僕にとって「8社目の創業」となるサンブリッジ グローバルベンチャーズ(SBGV)100%出資の新会社の登記を、僕の誕生日(3/30)にしてくれた。
この新会社で何をするかは、近日中にプレスリリースを出すので、乞うご期待!
ところで、最近はとにかく忙しく、この4月から小学生になる長男が「お父さん、僕は最近、ひとりでご飯(夕飯)を食べて、ひとりでお風呂に入って、ひとりで寝てばっかりだよ・・・。一週間(平日)に一日でいいから一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝てよ!一日でいいんだよ!!」と懇願してきたこともあり、誕生日の今日は、19時に帰宅し、彼にとっては少し遅めの夕食を家族3人で食べた。
先月生まれた次男が夕方はグズるらしく、妻が彼をあやすのに精一杯で、長男は何でもひとりですることになり、大人の事情を理解している彼も、我慢の限界に達していたようだ。
「一緒に何々してよ!」などと言ってもらえるのは、自分自身の経験からも、せいぜい中学に入るまで。あと6年である!
その貴重な時間を極力、彼と一緒に過ごせるようにしたいと思っている。
ハーバードビジネススクールでの授業で、そのことを教えているらしいが、どんなCEOに訊いても、亡くなる前に、もっと仕事をしておけば良かったという人はいないらしい。
みんな「もっと家族と一緒に過ごすべきだった」と思うという。
話は変わるが、インタースコープを立ち上げた時(37歳。3度目の年男の翌年)、30代の最後の3年間を充実した時間にしたいと思ったことを思い出す。
あれから「一回り(干支)」。今度は、4度目の年男の翌年・・・。
「神様」と「周囲の皆さん」と「家族」に心から感謝をし、「40代ラストラン!」を悔いの無い時間にしたい。
「人生は短い」。「人生はすべて必然」。「人生には『勇気』と『自信』が必要だ」。
40代ラストランの心境で少々リライトし、近日中にSBGVのサイトにも代表者挨拶を掲載します!!
「KLab真田さん」のスピーチとバンデューラの「代理体験」
昨日の弊社創業記念パーティは、年度末で尚且つ生憎の雨にも関わらず、約120人の方々にご来場いただき、盛大に開催することができました。
この場をお借りして、ご来場下さった皆様に心よりお礼を申し上げます。
ところで、昨日のパーティで、KLab 株式会社の真田さん(CEO)にアドリブで締めのスピーチをしていただいた。
その内容はとても素晴らしかったので、是非とも皆さんに共有させていただきたい。
真田さんは学生時代、リョーマという学生ベンチャーを立ち上げている。
僕は、真田さんの笑顔と、事業に失敗して17億円の借金を抱えても自己破産せず、自力で完済した、その強靭なハート(精神力)の大ファンだ!凄い人である。
さて、リョーマで一緒だったメンバーには、その後、新たに起業し、上場社長や役員となった人が計17人もいるという。
真田さん曰く、そんなに優秀な人間が集まっていたわけではないし、そんなに優秀な人間を集められるわけがない、という。
では、なぜ、そんなに多くの上場創業社長を輩出することができたのか?ということを、当時の仲間と議論をしたことがあるそうだ。
結論は、ふたつ。
1. ある集団(組織)から「成功した人間」が「ひとり」出ると、「あいつに出来るんなら、オレに出来ないはずはない!」という発奮効果を生み、次々と「挑戦者」が表れる。
2. 若い時に「強烈な原体験」を経ると、もう、その「刺激」無しでは生きていけなくなり、一度は、大人しい生き方をしたとしても、やっぱり自分でやりたい!となり、起業する。
実は、僕が1991年3月(当時27歳)の時に、人生で初めての会社を設立した時も、2000年3月に、現ALBERT代表取締役会長の山川さん達とインタースコープというネットベンチャーを創業した時も、僕にとって近い存在だった人達の姿に刺激されたことが原因のひとつになっている。
そのようなことを、組織論や教育の世界では著名な「バンデューラ」という研究者が「自己効力感(Self Efficiency)」という概念として提唱している。
その「自己効力感」は、次の要素で構成されている。
1. 達成体験(文字通り、何かを達成した経験)
2. 言語的説得(周囲からお前ならできる!と励まされる)
3. 代理体験(周囲の人間が頑張る姿を見て、自分も頑張ろう!と思う気持ち)
4. これは失念した!
学術研究の世界では、その重要性は上記の順番のとおりとされているらしいが、僕は自分自身の経験から「1. 達成体験」と「3. 代理体験」の2つの重要度が大きいと思う。
そういう意味では、昨日の創業記念パーティのような場で、KLab 真田さん、ネットイヤー石黒さん、MOVIDA JAPAN 孫 泰蔵さん、日本人で唯一、故スティーブ・ジョブズ主催の Executive Meeting メンバーだった元アップルの前刀さん等、錚々たる人達を間近に見ているサンブリッジ グローバルベンチャーズでインターンをしてくれている学生たちは、普通の学生生活では経験できない「刺激的な原体験」をしているはずである。
僕自身、22歳で初めて行った New York での体験や20代で起業した経験が、今の自分を創っている。
日本のスタートアップシーンを活性化することは勿論、日本社会に対して「破壊的イノベーション」を創造し、活気溢れる国にしていくことの一助となれるよう、頑張ってやっていきたい。
ところで、昨日の創業記念パーティで「企業理念」に関する話をするはずだったが、直前に某経済紙の取材を受けており、すっかり失念してしまった!
でも、創業記念パーティに向けて急ピッチで準備してきたウェブサイトをモニターに投影しておけたので、僕の想いはご来場下さった皆さんに伝わったと思う。
「思考は自己実現する」。
僕の人生が証明済みである!
この場をお借りして、ご来場下さった皆様に心よりお礼を申し上げます。
ところで、昨日のパーティで、KLab 株式会社の真田さん(CEO)にアドリブで締めのスピーチをしていただいた。
その内容はとても素晴らしかったので、是非とも皆さんに共有させていただきたい。
真田さんは学生時代、リョーマという学生ベンチャーを立ち上げている。
僕は、真田さんの笑顔と、事業に失敗して17億円の借金を抱えても自己破産せず、自力で完済した、その強靭なハート(精神力)の大ファンだ!凄い人である。
さて、リョーマで一緒だったメンバーには、その後、新たに起業し、上場社長や役員となった人が計17人もいるという。
真田さん曰く、そんなに優秀な人間が集まっていたわけではないし、そんなに優秀な人間を集められるわけがない、という。
では、なぜ、そんなに多くの上場創業社長を輩出することができたのか?ということを、当時の仲間と議論をしたことがあるそうだ。
結論は、ふたつ。
1. ある集団(組織)から「成功した人間」が「ひとり」出ると、「あいつに出来るんなら、オレに出来ないはずはない!」という発奮効果を生み、次々と「挑戦者」が表れる。
2. 若い時に「強烈な原体験」を経ると、もう、その「刺激」無しでは生きていけなくなり、一度は、大人しい生き方をしたとしても、やっぱり自分でやりたい!となり、起業する。
実は、僕が1991年3月(当時27歳)の時に、人生で初めての会社を設立した時も、2000年3月に、現ALBERT代表取締役会長の山川さん達とインタースコープというネットベンチャーを創業した時も、僕にとって近い存在だった人達の姿に刺激されたことが原因のひとつになっている。
そのようなことを、組織論や教育の世界では著名な「バンデューラ」という研究者が「自己効力感(Self Efficiency)」という概念として提唱している。
その「自己効力感」は、次の要素で構成されている。
1. 達成体験(文字通り、何かを達成した経験)
2. 言語的説得(周囲からお前ならできる!と励まされる)
3. 代理体験(周囲の人間が頑張る姿を見て、自分も頑張ろう!と思う気持ち)
4. これは失念した!
学術研究の世界では、その重要性は上記の順番のとおりとされているらしいが、僕は自分自身の経験から「1. 達成体験」と「3. 代理体験」の2つの重要度が大きいと思う。
そういう意味では、昨日の創業記念パーティのような場で、KLab 真田さん、ネットイヤー石黒さん、MOVIDA JAPAN 孫 泰蔵さん、日本人で唯一、故スティーブ・ジョブズ主催の Executive Meeting メンバーだった元アップルの前刀さん等、錚々たる人達を間近に見ているサンブリッジ グローバルベンチャーズでインターンをしてくれている学生たちは、普通の学生生活では経験できない「刺激的な原体験」をしているはずである。
僕自身、22歳で初めて行った New York での体験や20代で起業した経験が、今の自分を創っている。
日本のスタートアップシーンを活性化することは勿論、日本社会に対して「破壊的イノベーション」を創造し、活気溢れる国にしていくことの一助となれるよう、頑張ってやっていきたい。
ところで、昨日の創業記念パーティで「企業理念」に関する話をするはずだったが、直前に某経済紙の取材を受けており、すっかり失念してしまった!
でも、創業記念パーティに向けて急ピッチで準備してきたウェブサイトをモニターに投影しておけたので、僕の想いはご来場下さった皆さんに伝わったと思う。
「思考は自己実現する」。
僕の人生が証明済みである!
「創業記念パーティ」と「企業理念」。
今日は、僕にとって何度目かの「創業記念パーティ」。
たった2年半前の2009年8月。僕はその先の人生が描けず、失意のどん底にいた。
でも、法政大学経営大学院(MBA)教授の小川先生に拾っていただき、MBAで教えるようになり、だいぶ元気になった頃、今度は2年半ぶりに再会したサンブリッジ創業者のアレン・マイナーから手伝って欲しいと頼まれ、その一年後の今日、このような素晴らしい機会に恵まれた。
僕の人生は起伏に富んでおり、飽きることはない。その代わり、すこしばかりタフなハートが要求される。
ジェットコースターのような人生を歩んでいるうちに、少しずつ、イマチュアなハートが鍛えられてきた。
昨年の今頃も同じようなことを書いたが(色々なことがあり過ぎて、随分昔のことのように感じる)、僕の人生は、ほぼ例外なく、大きな変化は「3月」に起こる。
最初の会社を設立したのは、1991年3月27日。
現株式会社ALBERT代表取締役会長の山川さん達とインタースコープを設立したのは、2000年3月9日。
ドリームビジョンを設立したのは、2006年3月4日。
そして、サンブリッジ Global Venture Habitat 東京オフィサーに就任したのは、2011年3月1日。
サンブリッジ グローバルベンチャーズの設立は2012年1月5日だが、創業記念パーティは3月23日。
因みに、僕の誕生日は、1963年3月30日。
今日の創業記念パーティで僕が話したいと思っていることは、僕にとって7社目の創業にあたる新会社の「企業理念」。
サンブリッジ創業者のアレンから「平石さんの好きなようにやって下さい」と言われて、僕が最初に決めたことは「企業理念」だった。
考えてみると、僕の原動力は、最初の会社を創った時から終始一貫して変わっていない。
僕がやりたいことは「社会の変化を発見し、そこにイノベーションの機会を見出し、それを実現すること」だ。
最初の会社(CREED EXECUTE INC.)の企業理念は「私たちは法人・個人という枠を超え、社会的資源の有効活用による新しい価値の創造とそのビジネスとしての仕組みを創ることをすべての活動の指針(CREED)としています」だったし、インタースコープの時は「科学的アプローチと徹底した人間主義により、新たな社会的価値を創造する」だった。
新会社の企業理念は「『世界に挑戦する人』を創出し、広く社会に『勇気と自信』と『希望』をもたらす、『グローバルイノベーション』を創造する」。
僕の起業家としての21年間の人生を凝縮させ、そこにサンブリッジのフレイバーをブレンドさせて策定したものだ。
イチローが言うように、人間ひとりの力では大きなことはできない。
でも、世の中の流れを感じ取り、そこにチャンスを見出し、仲間を募り、理念とビジョンを共有し、自らが定めた理念とビジョンの実現を心底信じ、そのことにコミットし続ければ、僕は必ず、想いは実現すると思っている。
失われた20年に追い打ちをかけるように3.11が起こり、僕の郷里の「福島県」は「フクシマ」となり、政治は機能せず、既得権益にしがみつく人達が改革を阻む今日、世の中に「勇気と自信」と「希望」をもたらすような大きなことを成し遂げたい。
そのことを創業記念パーティにご来場下さった皆さんに約束してしまおう!
追伸:予報では生憎の空模様。一人でも多くの方がいらしてくれますように!
たった2年半前の2009年8月。僕はその先の人生が描けず、失意のどん底にいた。
でも、法政大学経営大学院(MBA)教授の小川先生に拾っていただき、MBAで教えるようになり、だいぶ元気になった頃、今度は2年半ぶりに再会したサンブリッジ創業者のアレン・マイナーから手伝って欲しいと頼まれ、その一年後の今日、このような素晴らしい機会に恵まれた。
僕の人生は起伏に富んでおり、飽きることはない。その代わり、すこしばかりタフなハートが要求される。
ジェットコースターのような人生を歩んでいるうちに、少しずつ、イマチュアなハートが鍛えられてきた。
昨年の今頃も同じようなことを書いたが(色々なことがあり過ぎて、随分昔のことのように感じる)、僕の人生は、ほぼ例外なく、大きな変化は「3月」に起こる。
最初の会社を設立したのは、1991年3月27日。
現株式会社ALBERT代表取締役会長の山川さん達とインタースコープを設立したのは、2000年3月9日。
ドリームビジョンを設立したのは、2006年3月4日。
そして、サンブリッジ Global Venture Habitat 東京オフィサーに就任したのは、2011年3月1日。
サンブリッジ グローバルベンチャーズの設立は2012年1月5日だが、創業記念パーティは3月23日。
因みに、僕の誕生日は、1963年3月30日。
今日の創業記念パーティで僕が話したいと思っていることは、僕にとって7社目の創業にあたる新会社の「企業理念」。
サンブリッジ創業者のアレンから「平石さんの好きなようにやって下さい」と言われて、僕が最初に決めたことは「企業理念」だった。
考えてみると、僕の原動力は、最初の会社を創った時から終始一貫して変わっていない。
僕がやりたいことは「社会の変化を発見し、そこにイノベーションの機会を見出し、それを実現すること」だ。
最初の会社(CREED EXECUTE INC.)の企業理念は「私たちは法人・個人という枠を超え、社会的資源の有効活用による新しい価値の創造とそのビジネスとしての仕組みを創ることをすべての活動の指針(CREED)としています」だったし、インタースコープの時は「科学的アプローチと徹底した人間主義により、新たな社会的価値を創造する」だった。
新会社の企業理念は「『世界に挑戦する人』を創出し、広く社会に『勇気と自信』と『希望』をもたらす、『グローバルイノベーション』を創造する」。
僕の起業家としての21年間の人生を凝縮させ、そこにサンブリッジのフレイバーをブレンドさせて策定したものだ。
イチローが言うように、人間ひとりの力では大きなことはできない。
でも、世の中の流れを感じ取り、そこにチャンスを見出し、仲間を募り、理念とビジョンを共有し、自らが定めた理念とビジョンの実現を心底信じ、そのことにコミットし続ければ、僕は必ず、想いは実現すると思っている。
失われた20年に追い打ちをかけるように3.11が起こり、僕の郷里の「福島県」は「フクシマ」となり、政治は機能せず、既得権益にしがみつく人達が改革を阻む今日、世の中に「勇気と自信」と「希望」をもたらすような大きなことを成し遂げたい。
そのことを創業記念パーティにご来場下さった皆さんに約束してしまおう!
追伸:予報では生憎の空模様。一人でも多くの方がいらしてくれますように!
DCM伊佐山さんとの3年ぶりの再会。
今回は公私ともに慌ただしくしており、シリコンバレーに来ることを事前に連絡していなかったのだが、facebook のお陰で色々な方からご連絡を頂き、貴重な再会をすることができた。
僕たちのようにネットビジネスの世界に生きている人間にとって、facebook は完全に社会インフラになっていることを改めて実感した。
さしずめ「オンライン掲示板」という感じである。
そんなことで昨日は、DCMというシリコンバレーでも有名なベンチャーキャピタルの伊佐山さんと約3年ぶりに再会した。
伊佐山さんとは、元ソニーCEOの出井さん(現クオンタムリープCEO)が主催されている会合で知り合い、サンドヒルにあるDCMのオフィスを訪ねたことがある。
当時の僕は、思うように行かなかったドリームビジョンの仕事を大きく変え、人材紹介業を閉じる決断をし、今から考えると、どう考えても上手く行くはずのないオンラインメディアを立ち上げた直後だったのだが、その取材でシリコンバレーに来ていた。
僕が立ち上げたメディアは「挑戦する生き方」がテーマで、人生を懸けて何かに挑戦している人の姿を紹介することで、人生を生きる「意味」や困難に立ち向かう「勇気と自信」を持つ「きっかけ」を提供することが目的だった。
伊佐山さんは、僕が取材をさせていただいた後、約3年ぐらい、日本に本拠地を移し、DCMが運営するファンドに日本の投資家から投資してもらうための営業活動をしていたそうだが、「外資」のファンドに出資してもらうことは決して容易いことではなく、とても苦労をされたという。
そんな中で、僕が書いた記事が「自己紹介」ツールとして「とても役にたった」という、嬉しいお話を伺った。
僕は、ドラッカーのいう「イノベーションの7つ機会」と、彼がその中で最も成功確率が高いという「予期せぬ成功」という概念にとても納得しているが、伊佐山さんの話で、ドラッカーの原理を改めて実感した。
元SONY米国法人の本間さんという方からも同じようなことを言っていただいたことがあり、経済的には、少なくとも直接的には、何の成果をもたらさなかったが、それを補って余りある成果があったののかもしれない。
ひとつだけ、自信を持って真実だと言えるのは、どんなことでも「一生懸命」に「取り組む」ことが重要で、今回の再会も、僕が一生懸命に彼のインタビュー記事を書かなかったら、実現していないだろう。
時間はかかるかもしれないし、苦労はすると思うけど、必ず、努力は報われる。
もし、そうでないとしても、努力すらしなければ、絶対にチャンスはやって来ない。
@EVERNOTEの会議室
iPhoneからの投稿
僕たちのようにネットビジネスの世界に生きている人間にとって、facebook は完全に社会インフラになっていることを改めて実感した。
さしずめ「オンライン掲示板」という感じである。
そんなことで昨日は、DCMというシリコンバレーでも有名なベンチャーキャピタルの伊佐山さんと約3年ぶりに再会した。
伊佐山さんとは、元ソニーCEOの出井さん(現クオンタムリープCEO)が主催されている会合で知り合い、サンドヒルにあるDCMのオフィスを訪ねたことがある。
当時の僕は、思うように行かなかったドリームビジョンの仕事を大きく変え、人材紹介業を閉じる決断をし、今から考えると、どう考えても上手く行くはずのないオンラインメディアを立ち上げた直後だったのだが、その取材でシリコンバレーに来ていた。
僕が立ち上げたメディアは「挑戦する生き方」がテーマで、人生を懸けて何かに挑戦している人の姿を紹介することで、人生を生きる「意味」や困難に立ち向かう「勇気と自信」を持つ「きっかけ」を提供することが目的だった。
伊佐山さんは、僕が取材をさせていただいた後、約3年ぐらい、日本に本拠地を移し、DCMが運営するファンドに日本の投資家から投資してもらうための営業活動をしていたそうだが、「外資」のファンドに出資してもらうことは決して容易いことではなく、とても苦労をされたという。
そんな中で、僕が書いた記事が「自己紹介」ツールとして「とても役にたった」という、嬉しいお話を伺った。
僕は、ドラッカーのいう「イノベーションの7つ機会」と、彼がその中で最も成功確率が高いという「予期せぬ成功」という概念にとても納得しているが、伊佐山さんの話で、ドラッカーの原理を改めて実感した。
元SONY米国法人の本間さんという方からも同じようなことを言っていただいたことがあり、経済的には、少なくとも直接的には、何の成果をもたらさなかったが、それを補って余りある成果があったののかもしれない。
ひとつだけ、自信を持って真実だと言えるのは、どんなことでも「一生懸命」に「取り組む」ことが重要で、今回の再会も、僕が一生懸命に彼のインタビュー記事を書かなかったら、実現していないだろう。
時間はかかるかもしれないし、苦労はすると思うけど、必ず、努力は報われる。
もし、そうでないとしても、努力すらしなければ、絶対にチャンスはやって来ない。
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祝:大谷さん、八戸大学の学長就任!
僕の人生は、常に慌ただしいようだ。
今年は新会社の設立、2人目の子供の誕生、法政MBAで主査として初めての修士論文指導、新オフィス稼働、長男のインフルエンザ、また、今日は主査として担当した藤田さんが最優秀プロジェクト賞を懸けての最終発表会(結果は3位入賞!)、そして、日付が変わって29(水)00:05@羽田発のフライトでサンフランシスコ&シリコンバレーへ出張。
流石に身体が悲鳴をあげたのか、先程まで激しい頭痛と吐き気に襲われ、本当に飛行機に乗れるのか?という状態だったが、診療時間が終了しているところを無理を聞いてもらい、近所の掛かりつけの医者でもらってきた薬が効いてきたのか、何とか自宅を出発し、先程、羽田国際線ターミナルに到着した。
成田と較べて、格段に近い!
ところで、長男のインフルエンザ騒ぎで八戸行きはキャンセルさせていただいたが、先週の金曜日、盟友の大谷さん(インフォプラント創業者)が八戸大学の学長に就任することが発表された!
素晴らしいことである。
「インターネットリサーチ御三家」と言われたインフォプラント、マクロミル、インタースコープだが、それぞれの事業がそうだったように、その創業者のその後の生き方も三者三様である。
ひとつだけ共通することは、3人とも自分の理念(ポリシー)に忠実に生きているということだ。
「生き方」という意味では、次男が生まれたことで、親としての責任をより一層、感じるようになった。
彼が社会に出て活躍する姿を見れるまで、元気でいたいと思う。
若くして亡くなった両親の無念さが、分かってきたような気がしている。
追伸:子供が生まれたことで、実家から今の母が手伝いに来てくれている。
僕は子供の頃、両親と父方の祖父母、そして、父の妹2人と一緒に暮らしており、いわゆる大家族だった。
母と妻と長男と僕とで食卓を囲んでいると、あの頃のことを思い出す。
文明の発達と引き換えに、無くしたものがあるようにも思う。
それ故に、僕たちはこうして、facebook や Twitter やブログを通じて、自分と価値観や生き方を共有できる「コミュニティ」を欲しているのかもしれない。
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今年は新会社の設立、2人目の子供の誕生、法政MBAで主査として初めての修士論文指導、新オフィス稼働、長男のインフルエンザ、また、今日は主査として担当した藤田さんが最優秀プロジェクト賞を懸けての最終発表会(結果は3位入賞!)、そして、日付が変わって29(水)00:05@羽田発のフライトでサンフランシスコ&シリコンバレーへ出張。
流石に身体が悲鳴をあげたのか、先程まで激しい頭痛と吐き気に襲われ、本当に飛行機に乗れるのか?という状態だったが、診療時間が終了しているところを無理を聞いてもらい、近所の掛かりつけの医者でもらってきた薬が効いてきたのか、何とか自宅を出発し、先程、羽田国際線ターミナルに到着した。
成田と較べて、格段に近い!
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素晴らしいことである。
「インターネットリサーチ御三家」と言われたインフォプラント、マクロミル、インタースコープだが、それぞれの事業がそうだったように、その創業者のその後の生き方も三者三様である。
ひとつだけ共通することは、3人とも自分の理念(ポリシー)に忠実に生きているということだ。
「生き方」という意味では、次男が生まれたことで、親としての責任をより一層、感じるようになった。
彼が社会に出て活躍する姿を見れるまで、元気でいたいと思う。
若くして亡くなった両親の無念さが、分かってきたような気がしている。
追伸:子供が生まれたことで、実家から今の母が手伝いに来てくれている。
僕は子供の頃、両親と父方の祖父母、そして、父の妹2人と一緒に暮らしており、いわゆる大家族だった。
母と妻と長男と僕とで食卓を囲んでいると、あの頃のことを思い出す。
文明の発達と引き換えに、無くしたものがあるようにも思う。
それ故に、僕たちはこうして、facebook や Twitter やブログを通じて、自分と価値観や生き方を共有できる「コミュニティ」を欲しているのかもしれない。
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