rinaのブログ

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今生きていること。

毎日美味しい食事を頂けること。

健康なこと。

家族とともに過ごせること。


こんなあまりに感謝すべきことが、

あまりに当たり前になりすぎていると思う。


そして挙句の果てには、

もっともっとという欲求に駆られてしまう。


わたしたちがいまあるのは、

まぎれもなく過去の方々のおかげなのです。

そんなことも、忘れてしまって・・・


父や母、祖母や祖父、そしてまたさらにその父や母・・・


物のない時代に強く行き、戦争という戦いを強いられ

家族とも離れ離れ、明日をもしれない命を引き換えに

守り続けてくれたのです。

日本という国、継承という形で。


明日はやってくるのだろうか、という不安を抱き眠りに就く人

この経済状況の下であればいらっしゃるかもしれないが

命がなくなるというわけではないと思う。

明日は何を食べよう。どうやって調達しよう。

子供にあげる母乳がもう出ない。

敵に見つかってしまうかもしれないけど、子供が泣きやまない。

いつまた空襲が起こるかわからない。

主人は、生きているのだろうか。

そんな今では考えられない思いをしてきた、先代の方々。

考えただけで胸がし締め付けれれそうな、思いになります。

世界のどこかでは、今だってそんな状況のところだってある。


水道をひねれば水が出てくるし、

テレビや電話だってある。

少し歩けばすぐに食糧を調達できる。

子供も家族も健康で存在する。


本当に今当たり前のことが、昔は当たり前でないのです。

戦争や過去の生活のをもちろん体験したわけではないし、

それを軽々しく口にすることも申し訳ないと思う。

だから、ただただ感謝すべきなのだろうと。


今どんなに苦しい状況に置かれていようとも、「生きている」ことが

どれだけありがたいことかと。

何か辛いことがあって誰かを恨みたくなることだってあると思う。

しかし今、「生きていること」。

自分を産んでくれた母。父のおかげで今自分がいる。

この世に生れてきてくれた我が子。

あらゆる状況で生きることさえできなかった人もいる。

そんなまぎれもない事実を忘れては、ならないのだと思います。


いったんこころを落ちつけて、考えます。

すべてのことに「ありがとう」と。

感謝する心があれば、どんなに辛い状況だって乗り越えられる。

そう思います。

3歳までに一生分の親孝行をするという。


妊娠中の期間も入れると、約4年。

もちろん子供はそのつもりはないが、

だからこそ本当の親孝行になっているのだろう。


新しい命を宿したときから、母は毎日子供のことを想い続ける。

10月10日かけてお腹の中で命を育み、痛さと闘い

この世に生をもたらす。

これだけでなによりの、十分な親孝行なのだ。


それに加え、一時も母から離れず母乳を飲み、添い寝をする。

いくら泣かれても、この寝顔を見ると一日の疲れも吹っ飛んでしまう。

何気なく見せてくれる笑顔に癒され、

寝返りをした、たっちした、一歩歩いたなどの成長を見ると

跳ねて喜ぶのだ。


時を重ねるにつれ意思疎通もできるようになると同時に我もでてきて、

かんしゃくを起こして泣きわめいたりもする。


でも、親は求められている。

どんなに怒っても、必ず求めてくる。

姿が見えなくなると泣いて探し、怖い思いをすると抱きついてくる。

素直に好きを、体いっぱいで表現してくる。

握りしめると小さな手で力いっぱい握り返し、

微笑みかけるとこぼれんばかりの笑顔を返してくれる。

まだ話が出来ない頃は何かを伝えたくて必死に洋服を引っ張り、

足にまとわりついて下からつぶらな瞳で見つめてくる。

考えただけでも胸が苦しくなるほど、愛おしい。


こんなに素直でこんなに嬉しくてこんなに幸せな瞬間て、

他にないと思う。

ただただ、ただただ求められ、ただただ愛されているのだ。

理由なく、必要とされる期間。

それが3歳まで。


それからは親よりも友達が大切になり、親と過ごす時間よりも

一人で過ごす時間が大切となり、

本当の意味で親の手から離れてしまうのだ。


子供の成長が進むにつれ憎まれ口を叩くようになり、

言うことなんて一切きかない。

それどころか親が邪魔者扱いされることだってある。

手に負えないような人間になってしまうかもしれない。


でも、親は子供が3歳までに与えてくれた愛で

一生生きていくことができるのだ。

可愛かった時期を忘れることができず、

今がどんな状態であれ、小さく可愛かったあの時期を

あの笑顔を思い出し振り返り、

辛くても悲しくても乗り越えていけるのだと思う。


だから、子供は成長してから無理に親孝行しようと

考える必要ないのかもしれない。

もちろん心情的に、親になにかしてあげたいと思うのは常。

ただ、親が望むことは、とにかく健康で幸せに。

ただ、それだけ。

高価な贈り物をするより、ただ一本の電話で安否を伝える。

それだけでいい。

結婚をして子供を産んで、専業主婦という人生を生きている。

賢明な選択なのか、誤った選択なのか、未だ自信が持てずにいる。


専業主婦の仕事と言えば・・・

朝起きて朝食の準備。その間に洗濯をする。

主人を送り出したら、子供を公園に連れていく。

公園にいるママと話をするときもあれば、しない時もある。

いったんうちに戻り、昼食をとる。

たまには子供を預けて、習い事をしてみたりもする。

子供がお昼寝をしている間に、掃除をしたりパソコンをのぞく。

夕飯の買い出しに近くのスーパーへ行き、準備。

夕飯を済ませると、子供とお風呂。

寝かしつけが終わったなと思うと主人の帰宅で、再度夕飯。

そして洗い物などえを済ますと、一日も終わっている。


こんな毎日を過ごしている専業主婦が常だと思う。

もちろんたまには足を延ばして都会にも出て、ママ友やそうでない昔からの

友人と会ってお喋りに花を咲かせ、それがストレス発散となっている。

24時間365日、どんな時でも子供と顔を突き合わせているのだ。


働いているときは、その対価としてお給料をもらっていた。

年に2回は「ありがとう」という意味でかボーナスももらっていた。

その額が多かれ少なかれ、

それが自分が会社や世の中に貢献した額なのだろう。

今は、どんな対価を得ているのだろう。

毎日の食事の準備、掃除に洗濯、子供のお風呂にトイレを日々こなし、

それの対価は一体何なのだろう。

可愛い子供の笑顔なのか、たまに言ってくれる主人の「ありがとう」という

言葉なのか。


いつか離れゆく可愛い子供と毎日一緒にいられることの幸せ。

離れていればわかりえない成長を、この目で見れるのだ。

もう二度と戻ってこない一日一日を、子供と過ごせるのだ。

そして旦那さんが毎日働いてくれているからこそ、

おいしい食事を食べ、平穏な生活を過ごせている。

家庭の事情で働くことを余儀なくされている母もいる中で、だ。

これが立派な対価と言えるのではないだろうか。

昔風に言えば、「うちを守る」ということかもしれない。

家族が健康でいるために食事を作り、家計を切り盛りし、

居心地の良い家庭を作る。

とっても立派な「仕事」なのだと思う。

いつか専業主婦の仕事を年収換算すると、

2000万円という記事を見たことがる。

年収2000万円稼げる女性が、世の中に何人いるだろうか。


専業主婦として得られるものは尊いものであり、

外で働くことのよって得られる収入や称賛、やりがいやいきがいとは

全く違うものなのである。比べることができない。

主婦は外に出ればお金を使うだけ。消費ばかりで生産していない

と言う意見もある。

でも、十分すぎるほど生産していると思う。

子供の面倒に、家事炊事、家計のやりくり、近所づきあい、

笑顔で家族と接し、あたたかい家庭を作るのも主婦の仕事だから。

もちろんそれは専業主婦でなくてもできることかもしれないが、

専業主婦の方が、よりそれを作りやすいと思う。

むしろ子供の有無は関係ない。

子供が大きくなって自分の手から離れた時に、

何もないことを恐れる方もいる。

でも、人生は毎日がスタート地点。

もし何かを始めたければ、遅すぎることなんてないのだから。

気づいたその時に、始めればいい。

専業主婦として家族に費やしてきた時間が、あるのだから

それに自信をもてばいいと思う。


本当に本当に今しかできないこと。

それはともに過ごすということ。

それが、専業主婦という選択をした理由。

専業主婦です。と、自信を持って言える。

そしてそれができる環境に、感謝しなければならない。