僕たちの周りには
様々な人たちが
いるように思えます
優しい人 温かい人
冷たい人 優しくない人
みんな神の子ですが
人を攻撃する人
人を裏切る人
そんな人も時にはいます
すべてが自分が作っている現実
すべてが自分が見ている夢
それは真実です
自分がその証人
証拠を見たいと
呼び寄せた人たちです
だから仕方ないでは困りますよね
例えば
攻撃する人や裏切る人は
自分を弱いと思っているから
だと捉え直したらどうでしょうか
いじめっこはなぜいじめをするのか?
周りの人たちみんなが自分で
愛すべき存在ならできないはずです
自分は虐げられている
そして弱く傷つきやすい
だから自分から先に攻撃する
愛するかわりに攻撃するのです
自分と対等なものは攻撃できません
だから上と下という概念を
作り上げます
関係性とは完全な対等性から生まれます
自分と同一の自己だから
愛したいし受け入れたい
攻撃する人たちは
たくさんの人影に囲まれながらも
本当の心の友がいません
すべては上か下かの
比較から生まれた世界に
生きていると思っているからです
そういう証人を見ているということは
自分にもそんな部分が
あった あるいはあるということです
でも今この瞬間がどうかです
それを望まないと思うなら
人生を人のせいにしたくないのなら
相手のせいにして終わりでは勿体ない
その人は
自分をその思考 想念から
抜け出させてくれる救済者です
怒りは怒りの火を注ぐだけ
その火を消すのは
自分の中の愛です
すべてを見過ごすこと
強き者は裏切りません
自分の強さを認識するチャンスです
今まで これまで
自分を弱いと知覚してきた
のかもしれません
みんな裏切るし攻撃するから
でもそれは彼らの弱さから
発せられていた
愛を求める叫びだったのだとしたら
自分が攻撃せず
裏切らなかったのなら
それは弱さではなく強さです
色々恵まれている人ほど
自分の中の豊かさを
認められないものです
端から見れば十分豊かなのに
自分でその豊かさを
受け入れられない
自分の豊かさを受け入れられない
だから
周りの人たちの良い部分を認められない
悪循環です
もし自分が十分豊かならそれを享受し
もし周りに攻撃する人がいるのなら
自分の傷つかざる強さを見せること
も大切だと思います
何をしても されても
傷つかない自分を表現するなら
相手はどう思うでしょうか?
傷つけようとしているはずなのに
ますます元気に活躍する相手を見たら
そんな攻撃には意味がないのだと
やっと気づくのかもしれません
嫌なことでも何でも抱え込め
というのではなく
きちんと手を打った上で
本当の自分自身の解決のため
自分自身の進化のためには
傷つかざる自分を表現すること
もとっても大切だと思うのです
世界とは愛が不可能だという概念です
それを受け入れるのか
それを退けるのかということだと思います
頑固ですよね
でもその頑固さが
自分の中の本当の力です
力は外ではなく内にあります
コースによる学びとは
その内なる強さを
受け入れていく訓練です
自分の強さを表現することは
周りの人たちの強さを
表現することでもあります
そこから共感が生まれます
強さもそのための導きも
すべてを神から
受け取ればいいのだと思います
一切を委ね
一切を信じる者は
強き者です
無罪性が傷つかざる強さです
実在しないものは存在しない
実在するものは脅かされない
コースの冒頭の言葉です
僕たちは頑固でいきましょう(笑)
明日からまた涼しくなると聞きました
穏やかな一日をお過ごしください