図書館で借りた6冊の交流分析の本返却期限が来たので返しました。「生きる」のに全力を尽くしていたので、ほぼ流し読み。三元論に役立ちそうな部分だけをコピーしました。



その一部を書き留めておきます。


バーンのオリジナルな自我状態の3分類の定義をまとめると⋯⋯自我状態は「感情、思考のセットで、必ずそれらに対応した行動のセットを伴う。

 ⑴「成人」の自我状態では、その人の感情、思考、行動は「今、ここ」の年齢に相応しいものである。(現在における現在の反応)

 ⑵「子ども」の自我状態では、自分の子ども時代の早期の感情、思考、行動を再現している。(過去の再生) 

⑶「親」の自我状態では、その個人の親ないし親のような人の一人から借り入れた感情、思考、行動を示す。(過去の再生) 

ただ初期の交流分析では、『親』は価値判断、『成人』は思考、『子ども』は感情という単純化されたモデルだった。 

しかし、多くの読者の解釈は、おそらく次のようなものです。「人々が批判的にうわさ話をしているときは、彼らは『親』の自我状態であると考えられる。問題解決にたずさわっているときは「成人」の自我状態であり、一緒に遊んでいるときは二人とも『子ども』の自我状態であるか、一人は『子ども』の自我状態でもう一人は『親』 の自我状態である」。ここから過度に単純化された「価値-思考ー感情」バージョンの自我状態モデルに移行するのは、ほんの一足です。 


支配的で暴力的な社会体制と、一人ひとりのなかにある「批判的な親(CP)」がつながることによって、人間に潜在的に内在する満ちあふれる愛情、喜び、創造的思考が数世紀にわたって抑圧の対象となってきました。交流分析は、この抑圧されてきた能力を、力によるゲームのない、心を中心とし、情報に基づいた、平等で協力的な社会の下で解放することができるのです。脚本とは自分の人生に意味を持たせるもの