今日は泊まり勤務明けのあと、最近定番になった、10時からやっているビッグボーイ大森店でランチ。午後からバイト。夜は哲学系のスペースを聴いた。


その合間に久々にXをやった。情報として得るものは無くとも、リプすることにより自身が考えることで、新たな気付きを得られることは多い。脱構築というのは、こういうことを言うのかも。


たとえば、今日は哲学は役に立つか?みたいな会話に絡んだが、完成した不動の真理を持っているならいざ知らず(それは宗教みたいなものかも)、私のように真理のまだ探求段階の人が、書物の知に頼らず自分の経験と頭を使って帰納的に哲学する場合、当然無意識に役に立つかどうかで考えているはず。そしてその真理が完成したら、嫌でもそれは自らの考えを良い方向に導く、つまり役立つ。要は一刻も早く真理に到達することだと改めて感じた。


また、哲学は純粋な知=真理を目指すべきであり、最初から役立てることを目的とするのは不純と呼んでも良いだろう。しかし、真理は例えれば太陽みたいなもので、そのエネルギーをどう利用されるかは太陽にとっては預かり知らぬことだが、実際は全てに対して役立つ。


途中、真面目に考える気あります? と言われちょっとビビったが、自分は哲学を自由に考えるのが好きだが、あくまで自己流で、専門家から見ればそれは哲学とは言えず、自由も不真面目に見えるかもしれないと書いた。


夜のスペースは浅田彰の特集だったので聴いたが、浅田彰は資本主義の外部に出ようとした人みたいな感じでまとめられたので、さすがに、浅田彰といえばクラインの壺で、この世界に外部は無く、でも内部に引きこもってはダメ。だから脱構築せよ。逃走線を引けと言い続けたのが彼だと返した。


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