今日は寺山修司の命日。ちょうど没40年です。
寺山修司の思想を語ろうとすると、どうしても寺山修司を語ることになってしまう。もちろん、そこが多くの人に愛された寺山の良いところではあるのですが、もうそろそろ彼の思想そのものを語るべきだし、寺山もそれを望んでいるはず。
なぜなら、彼は思想家だったのだから。作家は作品を残し、思想家は思想を残す。大きな違いは、後者の方がより多くのものがそこから生まれるという点。思想家はクリエイティブなのです。
実際に未知のものを幻想化するのは、ただの自衛手段にすぎないのであって、それ自体に創造性を内包するものではない。ほんとうに幻想と創造が一体化するところがあるとするならば、それはむしろ「知りすぎた」現実、もはや何かであるかわかってしまったものを、もう一度想像力のなかで構築し直す素朴な感情─たとえば勇気、といったものである。月ロケットが月に到着する以前のウサギの童話は、いわば空想のユートピアにすぎないが、ロケットによって暴かれてしまった月の実体の上に、もう一度ウサギを想いうかべることは、ほんとうの幻想の有効性というものだ。(「幸福論 裏町人生版」より)
私が考える、最も重要な寺山修司の思想の一つ。AI時代を迎える今こそ、この思想を実行する時代だと思います。

