昨日の朝日新聞で、作家の高橋源一郎氏による、次のような靖国問題に関する記事がありました。


戦死したわたしの伯父達は「英霊」となって靖国にいるのだろうか?いや、そこにはいないような気がする。
「彼」がいる場所があるとしたら、祖母や父の記憶の中ではなかっただろうか。「公」が指定する場所ではなく、個人のかけがえのない記憶こそ、死者を追悼できる唯一の場所ではないか、とわたしは考えるのである。


私は、いわゆる靖国問題については全くの無知ですが、その通りだと思います。また、そうでなければいけないと思います。


高齢になられた当時のの当事者がどう思うかは、もちろん自由ですが、少なくとも、戦後生まれ、戦後育ちの人が当時の思想、考えを肯定することは間違いです。


私は「英霊」という言葉そのものを否定はしません。しかし、もし今、日本が戦争に巻き込まれたとして、自衛隊の力だけではダメな場合、徴兵制がない以上、志願兵を募るしかありませんが、戦死すれば、靖国に「英霊」として祀られるということが、今の若者のインセンティブになるとは思えないのです。


それより、家族の住む「日本」を守るためというほうが、よっぽど動機づけになるのではないでしょうか。


今日のTBSラジオ・デイ・キャッチでも、北丸雄二氏が、自国に誇りと自信を持っている国民は、未来に向かって前向きに物事を考えるので、過去の過ちも素直に認め、自虐などとは言わない、という話をしていましたが、その通りだと思います。