神代(くましろ)という、知らなければ絶対に読めない名字と、もう半世紀以上も付き合っています。

戦国武将の神代勝利(くましろ かつとし)、もっと昔、文永の役(元寇)で活躍した神代良忠、の流れをくむのでしょうが、昔からある名字ということで済ませてしまい、なぜ、こう読むのかについては、あまり考えたことがありませんでした。

ところが半年くらい前、近所の年配の方と話をした時、自分は今は無くなってしまったが長野県飯田の神稲(くましろ)村の出身だと言われました。昨日の朝日新聞で、飯田市歴史研究所10周年の記事を読んで、その話を思い出し、ちょっと調べてみました。

私は、神代(くましろ)というのは、神代(かみよ)という単語からきていると思っていたのですが、どうやら神稲(くましろ)からきているようです。

「クマ」 は 「カミ」 と関連がある語で,「人目から見えにくい場所,たとえば道や川の曲がりくねったところ,あるいは谷の奥など」 を指し,紀州の 「熊野」 や肥後の 「球磨川」 もこの意味の 「クマ」 に由来する(谷川健一 『日本の神々』 岩波新書)

「大日本地名辞書」によると、「神稲」は「久万之禰(く・ま・し・ね)」と読むべきものが「久万之呂」に転じたのであろうという。

「日本国語大辞典」によると、「くましね」は神仏にささげる洗い清めた白米、おくま、お洗米をさし、「くましろ(神稲代・奠代)」は「神に供える稲を作る田」、つまり、天皇に捧げる為の稲のことだそうです。

この「くましろ」の表記が「神稲」から「神代」に転じるのは、「稲」を「しろ」と読みづらくなった結果とのこと。「代」は今も苗代とか代掻(しろ・か)きなどと使われる読み方なので、「神代」に転じたのではないかということ。

なお、「和名抄」には「神稲郷」「神代郷」が淡全国に8カ所みえるらしい。