愛知県に母の菩提寺のお墓参りついでに

父親の違う兄との再会を果たして来ました。

いきさつは前回の投稿に書きました。

「兄」と会う。 | 父母との死別、早期退職を経て、自分を見つめる暮らし。 (ameblo.jp)


これが3度目の対面でした。

母の生前はその存在をぼんやりと話で聞いていただけだった。

母の遺産整理で連絡を取った際、

もらわれっことして辛い幼少期を過ごした苦しみを

私に怒りとしてぶつけて来ました。


それ以来、時々気にはなるけど、放置して来た兄との連絡。

兄の育てのご両親から母宛の手紙が出て来たので、

それをお渡しすることを理由に、

今回お会いしてこれで兄との関係を終了にしたかった。

 

1人で会う勇気はないので夫にも同席してもらいました。
市内の喫茶店で、兄の指定で夕方会いました。

兄は約束の時間より30分早く着いて電話して来たので

急いで向かわなくてはなりませんでした。

お元気でしたか?と言う私からの問いに返って来たのは

昨年頸椎の大手術をして現在も症状は完治していないという事。

それから、手術やリハビリの大変さの話が始まり、

それでも仕事はハードに続けているという事。


兄は小さな服飾メーカーをやっており、

社員や下請け企業を抱えて国内、国外休み無く飛び回っています。

自分の代わりはいない、

自分は社員や下請けにとって父親みたいな存在だから、

身体が辛くとも辞めるわけには行かない、と言います。

そんな兄の話を聞き続け、気が付けば1時間を超えていました。

話に区切りが付いたところで、

育てのご両親からの手紙のことを話し、

受け取って頂きました。

子供の頃の兄。

まわりからのいじめを誰にも相談できない不安の中で、

自分は本当に誰かに必要とされているんだろうか、

愛されているんだろうかと思い悩んだと思います。

自分の代わりはいない、自分が周りを支えているんだと言うことを、

私では無く、母に聞かせたかったんじゃ無いかと思いました。

別れ際、兄から思いがけない言葉をもらいました。

岐阜に美味しい鰻屋があるから、

次回時間に余裕を持って愛知に来てくれたら連れて行きます、との事。

兄は私との付き合いは望んでいないと思っていたので驚きでした。

私としても今回で終わりのつもりでした。

帰り道、夫が「どこに地雷があるかわからないので

緊張して汗びっしょりだった」と言いました。
主人は自己中で態度が大きくいつも相手に気を使わせる側の人間ですが

その主人でさえやっぱり緊張する相手である兄。

兄が機嫌良いまま帰ってくれて良かった。

さて、次どうする?新たな悩みが生まれました。

 

写真は母の生家に近く、母が常にお参りしていた「真清田神社」。

池の周りの敷石に、寄進者として母の名前があります。

そして、池にかかる橋を新設した際の寄進者として

兄の名前を発見しました。兄の家も近くなんです。

不思議な結びつき。。。。