自分の健康の話をしばらく書いていました。

同じ悩みを持つ方のご参考になればと思います。

同時に私も同じトピックの方のブログに訪問させて

いただいています。

 

さてさて表題。

近々母の生家のあった場所、そして菩提寺のある愛知に

行きます。目的はお墓参りと「兄」に会うためです。

 

 

「兄」は母が私の父と結婚する前に、別の方との結婚で生まれた男児です。

 

 

母の前夫が他の女性を家に入れたため、追い出されるように

離婚となりました。母は当時の環境ではシングルマザーとしては

生きて行けず、泣く泣く知人の元へ、その男児を2歳で養子に

出したのです。以来母はその男児とは一度もあっておらず

私も初めて会ったのが母の死後でした。

 

以前にもいきさつを書いています。

ご興味がありましたらご覧ください。

実の親と育ての親との交流 | 父母との死別、早期退職を経て、自分を見つめる暮らし。 (ameblo.jp)

 

兄が養子に出されたのは昭和30年代の話。

「もらいっこ」としての子供時代が苦難の連続であったことは

想像に難くありません。

遺産を処理するため相続放棄のお願いをしたのですが、

途中で感情を爆発させ、私の事を

「平気で子供を捨てるような女の子供なんてろくな

人間じゃない」と言い捨てました。

 

その後、なんとかなだめ、東京に出張に来た兄に

自宅に立ち寄ってもらい母にお線香をあげてもらいました。

法的手続きも終わりました。

 

母がずっと兄に合わなかったのは、養子先の両親との

約束だったからのようです。母の遺品から養子先からの

手紙が何通も見つかり、養母さんが母を兄に関する相談相手

として頼っていたことがわかりました。

母が兄について手放す時の辛い気持ちを綴ったメモも

見つかりました。

 

一周忌を愛知で行った際に、喫茶店で兄に会い、その手紙とメモ、

と一緒に母の遺品の真珠のネックレスを、

兄の娘さんにとお渡ししました。

 

それ以来、兄に会うのは今回が3度目になります。

 

兄との接触はとても気を使います。

前回感情を爆発させて以来、一応穏やかには話しますけど

常に威圧的で、私の事を徹底的に見下げていることを

わからせようとします。

どこで、どう会うかも「ギリギリにならないとわからない」

と言います。

仕事があるから仕方ないですが、わざと振り回しているのかと

思います。

 

そんな「兄」に、向こうから望まれてもいないのになぜ会うのか?

それは私の感情だけです。

母が愛情を持っていなかったから自分は捨てられたと思っていた兄が、

養母さんとの手紙や母のメモを見て何か変わったのか?

それを確かめたい、そして母の気持ちが伝わったか知りたい。

 

それだけです。

 

今回はさらに養母さんからの手紙が複数見つかりました。

それをお渡しして、兄と会うのはもう終わりにしようと思っています。

 

産まれてずっと一人っ子だと思っていた自分に兄がいた。

でも、そこからは何も始まらなかった。

一方、ずっと母について何も知ることが無かった兄は

何か変わったのかな?

母が兄に伝えられなかった自分の気持ち。

母に代わって少しでも伝えることができて、良かったのかな?

 

兄に会っても本心は聞けることは無いと思いますが、

とりあえずもうこれ以上私がやることは無いので、

自分の気持ちにもけりをつけようと思います。