前日(9/16)18時頃に車で自宅を出発(去年,マラソンバスを利用したら,帰りが苦しかったので)。
途中,PAなどで休憩をしながら,約240km先の京丹後市にある大会駐車場(網野グラウンド)に着いたのは当日(9/17)2時過ぎ。
私は第5ウェーヴ(4:40スタート)なので,車内で大会で着るノースリにゼッケンを付けたり,車から降りてシューズにランナーズチップを装着したり,トイレに行ったりして時間を調整していた。
大会会場までのシャトルバスに乗り込んだのは,3時過ぎ(会場まで10分程)。
会場到着後は,荷物を預け,サービスコーナーでパンや飲み物をいただいた(車での移動の際にPA等で食べたドーナツなどでは物足りなかったのでありがたかった)。
↓スタート会場のサービスコーナー
そうこうしているうちに,第1ウェーヴ(4:20)が出発。←5分おきに次のウェーヴがスタート。
この日の最高気温は,前日の予報34℃が32℃に修正されたとアナウンスされた(会場の選手達から歓声が上がる)。←2℃しか違わないがそれでも嬉しいということに共感。
↓第5ウェーヴ(4:40)スタート前
10秒前からカウントダウン(私はほぼ最後尾に並ぶ)。
スタート後は,去年のことを思い出しながら走る。←1年経っても結構覚えているものだ。
去年の反省(初100kmの大会にテンションが上がりすぎて写真撮り過ぎたため次々と時間をロス)から,今年は写真撮影は少なめにしようと決めていたので,第1関門まで写真なし。
途中15km辺りから朝日が見え始める(それでも,まだ日陰が多い)。
25km過ぎて太陽がかなり昇り,直射日光を浴びる時間がほとんどになる(それまで手に持っていた帽子とサングラスを装着)。←今年はリュックではなくウェストポーチにしたので背中は蒸れずに快適。
しかし,この辺りからまったく別の状況になってきたのを感じる(走ることによる体温上昇だけでなく直射日光を受けることによる体温上昇が体力と気力を奪っていく)。
↓第1関門(海山園)
関門時刻(8:40)まで残り38分弱。
去年はエイドで長居しすぎたので今回は早々に出発したかったが,水分補給以外にかぶり水も(氷をもらって首筋,腕や脚を冷やすことも)するので,結局長居することに。←余分にもらった氷を帽子やポケットに入れるが,すぐに溶ける。
↓42.195kmの標識
七竜峠にあるこの42.195km地点で5時間10分台。
なぜか今回はこの標識が2ヶ所にあった(これは手前の方)。
この辺りでは,裸足のランナーと並走(というより追随)。←足裏熱くないのかな
↓漁港エイドのかぶり水エリア
ここのかぶり水コーナーは今年も大盛況。
ほかのエイドでは水は大型のポリバケツ(写真奥のような)に入れているだけなので,すぐに底をついてしまうけど,ここはビニールプールなどにも水を入れておいてくれているので待ち時間が少ない。←それでも,水の補給が追いつかない様子だったが。
このエイドではうどんをいただく(喉越し最高)。←うどんは食べられたが,飲み物系は受け付けなくなってきていた(脱水症状気味)。
↓50kmの標識
50km地点で6時間20分台。←8kmを1時間10分程のペース。
単純に計算して100kmで12時間40分台←そんな訳ないのに,それに気づかないほど意識朦朧。AREも近づいてくる。
ここで,歩道を走っている私達の後方からけたたましい2種類のサイレン(パトカー🚨2台と消防車🚒2台)が続々とやって来る(何事だろう)。
そういえば,先程救急車🚑がサイレンを鳴らしながら追い越していったなぁなどとぼんやり考えていると,
↓交通事故現場
白い普通車が横転してほとんどのガラスが割れている。
ランナーは奥から坂の左側歩道を下ってきて,消防車の駐まっている辺りの横断歩道を渡り,写真手前に向かってきて歩道を右側走行で右折する。
何かランナー絡みの事故なのかと心配になった(近くに誘導の大会スタッフがいたが,自分の意識さえ朦朧としてきている中で,尋ねるどころではなかった)。
↓碇高原への上り坂
ラスボスの碇高原へと続く上り坂の序の口。
私の前後の人はほとんどパワーウォーク。
気づかなかったが,第2関門(54.5km地点)は過ぎていたようだ。
この高原の上にある第3関門(72.3km)までずっと登りが続くのかと思うと,暑さと喉の渇きと吐き気のために,気持ちがポキッと折れてしまった(それまでは前の人との間が開くとジョグで追いつきまた歩くを繰り返していた)。
ずっと歩きながら,次で「絶対リタイアする」と決心していた(そうしないと,もう1つ次のエイドまでを繰り返してしまう)。
61km過ぎのエイドに到着する前に,救急車が追い越していき,目の前のエイドに停まった。
遅れて到着したエイドで,係の人にリタイアを告げると,「重症でない方は後にしてください。」と言われた(自分が重症かどうかの判断はできなかったが,歩けているだけましだろうと考え,テント裏に移動して救急車が出発するのを待った)。
テント裏にはブルーシートが何枚か敷かれ,そこに横たわっているランナーが数人いた(私は空いているスペースがなかったので,アスファルトの上にどうにか座って運搬車が来るのを待った)。
座ろうとしたとき,脚がパンパンに張っていて曲げられないことに気づいた。
私の後からも次から次へと同じような様子の人達がやって来る。ものの数分で10人以上増えた。次の第3関門通過を目指すならすぐにでも出ないといけないから,おそらくみんなリタイアなのだろうとボンヤリとした意識の中で考えていた。
何分ぐらい経っただろうか。到着したワンボックスカーで先着順に数名ずつが運ばれていった後,私もリタイアバスの発着地点まで送ってもらった。そこは,ばら寿司を振る舞ってくれていたエイド裏だった(私は食べ物を受け付けなくなっていたので食べなかった)。
リタイアバスに乗って5分程待機した後,リタイアバスが満員となったので,スタート会場に向けて出発した。到着したとき,100kmの部の女子第1位のランナーが帰ってきた。拍手で迎えた後,体育館に行き,荷物を受け取り,着替えを済ませ,駐車場行きのバス乗り場に向かった。
その頃には,続々とランナーが帰ってきていた。←本当にこの暑さの中,100km完走したの感動より畏敬の気持ちだった(ユーチューバーのみゃこさんは100km女子の部3位,ゆこっくさんは4位だったみたい)。大会公式サイトによると,100kmの部全体の完走率は48%だったらしい。
ゴールできずDNFした私は,ゴールした瞬間の達成感を味わえずに帰路に着いたが,結局,この判断は正解だったと思う。もし,あのまま続けて次のエイドまで行っていたら,間違いなく私も救急車で運ばれていただろうし,意地を張ってゴールを目指していたら命を落としていたかもしれない。
今年の「灼熱の丹後」のコース上の最高気温は何℃だったんだろう←気象庁の京丹後市「間人(たいざ)」の過去の記録を開いてみると,昨日の最高気温は34℃のようだったけど。
恐るべし「灼熱の丹後」。私はこの大会をもう走らない(走れない)かもしれない。でも,挑戦したことに悔いはない。
↓第21回丹後100kmウルトラマラソン(ペース等)
※DNFのため,61kmまで。
↓第21回丹後100kmウルトラマラソン10km毎のラップ等
※ランネットから拝借
最後尾から出発したことによるロスタイムは33秒。