「心配性の母親をポジティブにする」考え方


今日のブログは〜
お母さんから叱られそう…
いやー嫌われますね

まぁ…
覚悟します


【道を極める】

12年前の北海道帯広

日本クラブユースU-15選手権大会に

審判員として初参加した時


選手の次の
全国大会経験は…
指導者でなく審判員でした。

J同士のレフェリーをしたり
僕がレフェリーを始めたキッカケの人と
直接お話する機会があったり照れ
最前列右から4番目(布施さん)

丸岡高校時代
全国大会を吹いてくれたレフェリー照れ


県内では
テクノの中条さんのレフェリーが
当時めっちゃカッコよくて
(うちのGK退場しましたけどw)


試合をコントロールするって
めっちゃカッコイイと思ってました指差し


あの時の研修会仲間
国際審判員や1級でJ1を吹いてたり
国際大会を吹いてる人もいますので
探してみてくださいびっくりびっくりびっくりびっくりびっくり


僕は
その道に行けと
当時の審判委員長から言われてましたが…



指導の道を優先して

クラブの発展の方へと

この街にJを…優先して生きてます



その過程で

【Jリーグ】ってなんなのか?


JFA  SMC本講座13期生で

スポーツ

マネジャーズ

カレッジ

の、略です



つまりJFA日本サッカー協会が主催の

【スポーツを運営する大学】を卒業し



今の

このパトリ運営の礎(いしずえ)を

築いてきたわけです



街にとって

Jリーグは必要なのか?



目的は?目標は?手段は?



どうやったら

自分のクラブが街にとって

必要な存在になれるのか?



どうやったら

Jリーグへといくために

より多くの人に協力してもらえるのか?


本当に

あなただけじゃなく

街にとってJリーグや


あなたのクラブは必要なんですか?



あなたがやってる活動は

街にとって

子どもにとって

保護者にとって



必要なことをされていますか?



それらを

どのように案内、広報し



どのように

運営されていきますか?


5泊6日を7セッション

関東を中心に缶詰の日々と

30冊を超える読書とレポート

プレゼン



地獄のような時間を過ごして

それが

【あなたにとってやりたいこと】を



大きな物から

捨てて、捨てて、捨てて

最後に残ったものが



あなたが本当にやりたいことです!と



今だからこそ言えますが

【Jリーグを創る】


周りから

どれだけバカにされ続けているのか



まぁ

落ち込むことも多かったですね



今は

目的と目標、手段

ようやく腑に落ちてきていて



自分が何をすべきかの行動基準がハッキリして



まず

何をすべきか?



ということに対して



子ども達が

夢を叶えるために必要なこと



そのために

僕たちがどのようにサポートするか



技術指導よりも大切なのは

【日々の姿勢】であり



それらを

どのように導いていくか



子ども達を教育しても

地域の環境を変えたり

家族の考え方を導かないと



子ども達の本質が変わらない



地域の現状を洗い出して

各スポーツ少年団が

どれくらいの日数の練習をして

どれくらいの活動をした上で

どのような変化が起こっていて



子ども達が

それらに対してどれくらい

フィードバックを受けて



実際に選手として伸びているか



チームとして出来ること

チームではなくスクールとして

選手達にアドバイス出来ること



要するに

たくさん学びをしてきた上で

僕が知ってる知識や知恵

そして人脈なども含めて



この子達を

どうやったらプロに出来るか



この子達にとって

プロチームに入れるようにするためには

どのような組織にして



どうやって関わっていくべきか



それらが

僕1人では出来ないからこそ



たくさん

僕と関わり、学びを受けてもらえる

機会を増やせるのが



この【サマスク】であり

長期期間での考え方を学ばせる機会


それらは

子ども達に直接ではなく

若いコーチ陣達にも



子ども達の生きる力をつけるべく

僕と過ごす時間が

今、この街にとって刺激になる



こういう思いで

過ごしてきましたパーパーパー



より良いモノを創りだすために

色んな企画をやり続けています



考える時には

【今、足りないもの】を

常に時代に合わせて分析すること



常に足りないのは

圧倒的な技術と



子ども達が

【オレはプロになる】と

思っているのにネガティブだという


【価値観を高める】ことの大切さ


周りがどう言おうと

何をどう邪魔しようと



自分がなる

自分が創る



こう決めた以上

周りの意見は聞きますけどね

聞きますけど



邪魔をしてくる人に対しては

僕は謙虚に頑張りますと答えます



【うちの子は】という

当然のご意見に対して



【信じてあげて欲しい】と願う一方


親のネガティブに

ナンドモナンドモナンドモナンドモ

出会ってきました



その度に

息子さんが選んだ道なら

それが良いのではないですか?と



僕の本意ではない

子どもの本意ではない進路に

内心悲しい想いもしてきました




本人は能力があるのに

家族が最後の最後に

応援しきれなかった



家庭の事情には踏み込めない



8年目になります



僕は

ズバッと言ってます



Jに行ったほうがいい

強豪校に行ったほうがいい



東京時代から含めて

強豪校に行ったり、J組織に入った選手



なんだかんだで

家族ですね。



ぶっちゃけ

お母さんですね。




思い出話を1つ

東京都大田区出雲中学校



誰もご存知ないでしょう

僕が初めて勤務した中学校



弱小中学校で

地区大会敗退常連



ブロック大会、都大会なんか

とんでもないような学校ではありました。



そこにいた1人の選手に

「修徳高校に行け」「お前はやれる」

全国大会常連の高校でした。



親から反対され

「なんであんな高校勧めたんですか?」

うちの子がその気になって

学費も高い、距離も遠い、やっていけない



その当時(高校1年生になって会って)

お母さんにブチギレられましたね

責任とって欲しいわ…



24歳タノ凹みまくりでした。

僕は無責任…なんかなぁ



卒業して数年後のことです



2019/1/1

明けましておめでとうございますLINEから



ちなみに

そのお母さんから


あの時は大変失礼なことを言いました…と。



息子はやれない

そんな厳しい環境ではついていけない

レギュラーになれないのに

わざわざ1時間以上かけて通って毎日夜遅く



応援したいけど

家族の方が辛かった…と。




高校を卒業した後に

あの子が大学に行くことになり

勉強もサッカーも頑張って続けられた



あの高校じゃなかったら

周りの子達のように高校中退したかもしれない

就職もしなかったかもしれない

あの時は失礼しました。

感謝しか申し上げられない…と。



この地域からでも

立派に巣立ってくれた

(羽田空港近くは荒れていた)

↑勤務した頃窓ガラス全部割れてたんですw



彼の場合は

上手くいったからこそ

こうやって言えることですね。



どんでん返しでしたね。

頑張ってくれたのは彼本人でした



大切なのは

本人がやる気があれば

何時間通おうが、辛かろうが



高校生の頃

何回かあったら

「しんどいけど頑張ります」だけだった



お母さんからの

恨みつらみもお会いするたびでした(笑)

といっても、丸岡遠征に来る年に一度

僕は福井に戻っていたので

※修徳と丸岡は交流があります



お母さんは

子どもをいつまでも守る存在です

だからこそ心配でしょうがない



そのお母さんが息子は

子どもを辞めさせたいと思ったけども

子どもが芯をもって休まなかったこと



子どもが休みたい

と、いったことは一度も無かったとのこと。



今の現代っ子に当てはまるか?

ってそんなに過去のことじゃない



子どもをポジティブにする

家族をポジティブにする



僕の

この街のミッションは

今は、これなのだと思っていますパーパーパー



タイトルをつけるなら…

「心配性の母親をポジティブにする」考え方

これが今日のタイトルですね


ですかね?🤣



お母さんにとって

我が子の成功とはなんですか?