個別指導塾「ドリームスタディ」
設立物語 第二章 葛藤の連続
2002年3月5日以降、娘の病気を治すことが生活の中心になりました。今まで仕事中心の生活を送ってきた私にとっては、仕事の時間を減らすことに不安を感じることもよくありました。家のことや子どものことは妻が全部やってくれるから、自分は仕事をバリバリがんばっていればいいという考えでした。
ここで少し、当時勤めていた会社でどんな仕事をしていたのかをお伝えしたいと思います。当時勤めていた会社は、教育関係を中心とした出版・家庭教師の派遣・参考書等の販売を主に行っている会社でした。社員数は多くありませんでしたが、全国展開していました。その会社に学生時代からお世話になっていて、会社の社長や専務に可愛がられていました。仕事はおもしろかったので、
自然といい結果も出ました。営業で売上全国1位を何回か取ったこともありました。
娘が病気になった頃は、ブロックの支社長として6店舗の管理全般や部下の人材育成をしていました。当時の私は山梨県甲府市 に住んでいましたが、管轄している6店舗というのが「甲府・八王子・水戸・前橋・静岡・浜松」 で、各拠点が離れているという特徴がありました。
このような状況だったので、出張の連続。多いときは年間150日の出張という年もありました。この時期は仕事の楽しさも分かってきた時期だったので、仕事中心の生活をしていました。
そんな時に、娘の件がありました。大げさのようですが、一瞬にして今までの常識や価値観が崩れました。この件があってから数日間は仕事にも身が入らないという状態でした。娘の病気の件があって仕事に身が入らない、それは自分でも理解できましたが、約1ヶ月経っても仕事に集中できませんでした。その辺りから自問自答する日々が続きましたが、ある変化に気づきました。
その変化とは、自分の娘を通して、人の命の尊さや大切さを考えるようになり、「今の生徒さん達に提供しているサービスは、こんなものでいいのだろうか?」「今まで自分がしてきたことは、本当に生徒さんにプラスになっていたんだろうか?」そんなことを考えるようになっていました。
決して、会社が悪いという訳ではありません。要するに、「過去の価値観と現在の価値観」との戦い=葛藤がありました。当時はまだハッキリ分かりませんでしたが、この頃から「自分が本当に欲しい何かを探しはじめていた」と思います。
人生でこれほど自分自身を見つめたり、人の生死について考える経験はありませんでした。何でもあるのが当たり前で、ある程度自分の思い通りになる人生を歩んできた私にとって、日々葛藤の連続、不安と恐怖の連続でした。しかも、自分自身ではなく娘の病気という点でも、人生はじめての経験でした。前向きな自分と、不安と恐怖で潰れそうで後ろ向きになる自分。このような精神状態になったのも人生ではじめてでした。
娘の治療は、ステロイド・抗がん剤という順番で治療は進んで行きました。予想通り、薬の副作用の影響で髪が抜けはじめました。体もだるそうでしたが、一生懸命がんばっていました。完全看護で、親は16時~20時の4時間だけしか看病できませんでした。そのような環境の中、時折見せる娘の笑顔が、私たちに勇気を与えてくれました。