DRPなおです
以前、ロケット教室後に植松さんと伊藤さんとお食事をしたんです
その時に息子の真人とKMP尚ちゃんのエピソードを話したら
「大塚さん、時間ある時にブログに綴って~」とリクエストされる程に、伊藤さんを筆頭に全員大爆笑
面白エピソード前に、初めて真人と尚ちゃんが出逢った時の思い出を書きたいと思います
真人が6年生の夏かな
初めてKMPにロケットを飛ばしに行きました
今だから笑い話ですが、5~6年の頃は真人すごく荒れていて、学校は皆勤賞だけど授業放棄
当たり前ですが注意ばかりされて、学校に居場所なんてありませんでした
家に1人置いて置くわけにも行かず、一緒に草津に連れて行くと、そこには子どもスタッフを含めて凄い数の知らない人達
「邪魔にならないようにね」
と真人に伝え、ロケット教室を視察していると
「なんか見てるなら受付してって尚ちゃんて人に頼まれた~」
「俺、ここのメンバーじゃないけどいいのかな?」
頼まれたなら手伝ってきてと言い、しばらくして様子を見に行くと、小さい子達に囲まれて案内している真人
この時にいた人懐っこい男の子が、今も交流があるエイト
今だから笑い話ですが、5~6年の頃は真人すごく荒れていて、学校は皆勤賞だけど授業放棄
当たり前ですが注意ばかりされて、学校に居場所なんてありませんでした
家に1人置いて置くわけにも行かず、一緒に草津に連れて行くと、そこには子どもスタッフを含めて凄い数の知らない人達
「邪魔にならないようにね」
と真人に伝え、ロケット教室を視察していると
「なんか見てるなら受付してって尚ちゃんて人に頼まれた~」
「俺、ここのメンバーじゃないけどいいのかな?」
頼まれたなら手伝ってきてと言い、しばらくして様子を見に行くと、小さい子達に囲まれて案内している真人
この時にいた人懐っこい男の子が、今も交流があるエイト
多分、人手が足りないとかだっただけ
でもどんな理由であれ、何か役割をもらって、受け入れてもらえて、仲間に入れてもらえたのが当時の真人には嬉しかったんだと思うんです
「小さい子達まとめてくれてありがとな~」
「やるやん、真人」
尚ちゃんが何気なく褒めてくれた時の真人の横顔、今でも覚えてます
そして帰りの新幹線で真人が言った
「ママ、東京でもロケット教室やりたいね」
本人は忘れているだろうけど、この一言が私の原動力
月に1回でも、隔月でも、ロケット教室や子どもスタッフ活動が、学校や習い事以外の居場所として子ども達に渡せたらないいなと思っています
だからどうしても定期開催という夢を諦められないのです
一母親としてもKMPの皆に感謝しているし、だからこそ自分が出来ることを東京でやりたいなと思っています
そして自他共に認める堀江さんファンの母同様に、尚ちゃんに自ら巻き込まれていく真人が出来上がりました
でもどんな理由であれ、何か役割をもらって、受け入れてもらえて、仲間に入れてもらえたのが当時の真人には嬉しかったんだと思うんです
「小さい子達まとめてくれてありがとな~」
「やるやん、真人」
尚ちゃんが何気なく褒めてくれた時の真人の横顔、今でも覚えてます
そして帰りの新幹線で真人が言った
「ママ、東京でもロケット教室やりたいね」
本人は忘れているだろうけど、この一言が私の原動力
月に1回でも、隔月でも、ロケット教室や子どもスタッフ活動が、学校や習い事以外の居場所として子ども達に渡せたらないいなと思っています
だからどうしても定期開催という夢を諦められないのです
一母親としてもKMPの皆に感謝しているし、だからこそ自分が出来ることを東京でやりたいなと思っています
そして自他共に認める堀江さんファンの母同様に、尚ちゃんに自ら巻き込まれていく真人が出来上がりました
たくさんの人に関わってもらえて、真人は幸せ者だと思うんです
そしてDRPメンバーも、本当に素晴らしい方達ばかり
だからたくさんの子ども達に、このメンバーと関わってもらえたら幸せです
続く