20歳のチベット僧が中国の弾圧に抗議の焼身自殺(2011年以降チベット本土で30人目)
3月28日、中国四川省でチベット僧ロブサン・シェラブ(20)の体が炎に包まれた。即死であった。ロブサンは中国のチベット統治に異を唱えていたという。
焼身自殺の場所は、ンガバのチャ街。ロブサンは、中国のチベット人に対する「差別」政策に関するスローガンを叫び、自らの体に火を放ったという。インド在住のチベット僧カンヤク・ツェリンからの情報だ。
「焼身自殺が起きたのは午後7:10です。街のメインストリート沿いでした。彼が叫んでいた言葉のすべては現段階ではわかりません。しかし、中国当局の無慈悲な政策に抗議していたようです。」
「即死でした。現場近くにいたチベット人が遺体を運ぼうとしました。しかし、そこに中国治安部隊が介入し、治安部隊が遺体を持ち去りました。これに、チベット人は怒りを覚えています。」
「治安部隊は、焼身自殺が起きた後、街の店を閉じるよう命じました。何らかの予防措置と見られます。」
キルティ
シェラブはンガバのキルティ僧院の僧侶であった。昨年3月にキルティ僧院の僧侶プンツォクが焼身自殺を遂げた後、中国当局はキルティ僧院の僧侶300人を連行した。その後、チベット人の焼身自殺が相次いでいる。
「シェラブは2日前、ンガバのラウルワ村に戻りました。」
焼身自殺の準備だったのかもしれない、とツェリンは語る。
シェラブには両親と3人の兄弟姉妹がいる。2009年以降、シェラブは31人目のチベット人の焼身自殺者となった。彼らは、中国のチベット統治に異を唱え、ダライ・ラマのチベットへの帰還を求めていた。
相次ぐ焼身自殺の中、チベット自治区、四川省、青海省、甘粛省で中国治安部隊による監視が強まっている。
シェラブの父の名はソドン、母の名はニマである。シェラブは9歳の時、31人の僧侶が属する小さなゲンデン・テンペル・リン僧院で僧侶となった。その後、キルティ僧院に移っていた。
インドの焼身自殺者
また、3月26日にインドで焼身自殺をはかったチベット人ジャンペル・イエシが、28日に息を引き取った。チベットの外で焼身自殺による死者が出たのは2度目である。
「この犠牲により、チベット人は士気を高め、チベットを覆い隠す中国の支配という暗黒の雲を追い散らすことになるでしょう。」
チベット青年会議副代表ドンドゥプ・ラダルはこう語った。
チベット青年会議は、北インドのダラムサラで、ジャンペル・イエシのための葬儀を計画しているという。
「ダライ・ラマがいらっしゃるダラムサラに遺体を運ぶことにしました。遺体を運ぶ許可は得ました。遺体を運ぶための準備をしています。」
ジャンペル・イエシは油を体にかけて火を放った。そして、炎に包まれながら、ニューデリーの街を駆け抜け、叫び声をあげた。胡錦濤中国国家主席のインド訪問に抗議していたようだ。
胡錦濤はBRICsの会合のため、ニューデリーを訪れている。
炎に包まれたイエシが走る姿は、世界中の新聞やウェブサイトに掲載された。BRICsの会合の間、ニューデリーに集ったチベット人は抗議の声を上げ、チベット問題に対する啓発を行うという。
インドで最初に焼身自殺を遂げたチベット人はツプテン・ンゴドゥプだ。1998年のことである。
イエシは、ニューデリー北部のマジュヌカティラ難民キャンプで暮らしていた。ここには、チベット本土から亡命してきたチベット人数千人が居住している。
呼びかけ
焼身自殺が相次ぐ中、著名なチベット人ブロガー、オーセルとチベット仏教の指導者アルジア・リンポチェは、焼身自殺をやめるよう呼びかけている。2人は、中国の統治に異を唱える人は、「生きて、目的に向かって進む」べきだと述べている。
ダラムサラのチベット亡命政権のロブサン・センゲ首相は、焼身自殺をやめるよう呼びかけながらも、「焼身自殺の原因は、中国政府の強硬路線にある」と述べている。
ロブサン・センゲは、中国政府が、この半世紀、「チベット人とチベット文化を根絶やし」にしようとしてきたと非難している。
一方、中国政府は、ダライ・ラマとその一味がチベットで「混乱」を生じさせようと画策しているとして非難している。
【亀田浩史訳】
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