昨日は拉致問題を考える国民の集いinみえに出席しました。横田めぐみさんの弟横田拓也さんの講演、元産経新聞記者の阿部雅美さんの講演を聞かせていただき、三重県に関わりのある拉致の可能性を排除できない行方不明者ご家族からの訴えもありました。

三重県警察オフィシャルサイト/Mie Prefectural Police Headquaters

 

拉致問題は人権、主権の問題であり、私たち一人ひとりが自分事としてとらえる必要があります。

1977年横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されました。警察による捜査が続きましたが、初めてこの事件が記事となり世の中に知られたのが、1980年産経新聞の記事でした。相次ぐアベック失踪事件が起こり外国の情報機関が関与しているのではという記事を書いたのが、阿部さんでした。しかしその後、この事件を扱うメディアはありませんでした。

 

1988年3月26日、参議院で、アベック失踪事件が議論になり、当時の梶山静六国家公安委員長が「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である」との答弁をされました。しかしこのことをメディアは一切記事にしませんでした。阿部さんは1988年3月26日をメディアが死んだ日と言います。

 

1997年、横田めぐみさんという名前が報道されるようになり、北朝鮮による拉致問題をメディアが扱うようになりました。拉致されて20年経ってからのことです。もっと早い段階で政府、メディアが放置せず動いていればと横田さんはお話されました。阿部さんはメディアの立場として、政府が北朝鮮による拉致と国会で答弁し警察が様々な情報をつかみ調査に動いている中、何も報じなかったメディアの罪は重いと語られました。

 

家族の立場からすると、拉致した北朝鮮との長い戦いですが、それと共に国内の北朝鮮擁護派の知識人や有識者との戦いであったとのことでした。多くの誹謗中傷を浴びながら、人権侵害と戦ってこられたことを思うと心が締め付けられます。

 

日本政府が拉致被害者として認定しているのは17人です。それに加えて、拉致の可能性が排除できない特定失踪者は470人にものぼります。長い年月が経つ中、この重大な人権問題を風化させず、すべての拉致被害者が即時帰国できるよう訴えていなかければなりません。

 

政治の責任、メディアの問題をあらためて感じさせられました。