明治維新から40年足らずで日本は強国ロシアと戦うことになります。戦前の予想を覆し日本は日露戦争に勝利しましたが、限界以上の力を出し切った勝利であり、余力のあるロシアに対してどのように戦争を終わらせるかというのが重要な問題でした。その交渉の全権を任されたのが小村寿太郎外務大臣でした。

小村寿太郎という名前は、日本史の授業で不平等条約を解消した人として習いましたが、近代国家にとって極めて重要なポーツマス条約をまとめた粘り強い、したたかな、そして先見性のある交渉術を興味深く読みました。

 

小村寿太郎が講和条約をまとめて帰国すると、国内は、この内容に憤慨した国民による騒擾事件が各地でおこり、内相官邸や警察署などが襲われました。小村寿太郎は、屈辱外交を行ったと非難され暗殺計画も図られ、家族に対しても危害が及び妻は精神異常となりました。これは政府が戦争の情勢や財政の崩壊状態により、とても戦争を続けられる状況にないことを秘していたことが原因でしたが、このような内実を公表すればロシアは勢いを強め講和会議に応じることはなかったと考えるとやむを得ないことでありました。

 

この時、有識者の集団と言われる七博士会は、賠償金30億円、樺太、カムチャッカ沿海州すべての割譲を求め、受け入れられない場合は戦争継続を強く主張し、新聞はその要求が国民の総意を代弁するものと強く支持をし、煽りました。

 

マスコミ、専門家からポーツマス条約での屈辱外交は国家の恥と徹底的に煽られ、その責任を小村寿太郎や政府は背負いながら、戦後処理を行い、ロシアとの友好、満州と朝鮮半島の権益確保を着実に進めていきます。

 

筆者は国民から批判され続けても、国家意志と国家理性をもって行動した明治の日本の外相小村寿太郎と、派手なスタンドプレーで国民から熱狂的に支持されても、国家を破局に導くことになった昭和の外相松岡洋右を比較し、これは過去のことでなく、今後の日本を見つめる貴重な視点となりうると昭和58年4月に書いています。

 

私は本書を読みながら新型コロナ禍の今を考えました。特定の感染症の専門家がテレビで国民の不安を煽り続けています。専門家であるはずの医師会が非科学的で感情的なことを言いそれをメディアが取り上げ、政府を批判しています。国民からの支持を気にしてパフォーマンスを重視して行動する政治家がいます。

 

私は、あらためて、政治家として、この国の未来を考え、信念を持って愚直に行動してきた小村寿太郎でありたいと思います。